【レポート】STUDIO BUNNYと行く、オモハラ文化タイムトリップツアー『HARAJUKU HOPPIN’』
裏原宿カルチャーが隆盛していた頃、なんとなく雑誌でその勢いや熱さを知った気になっていたけれど、やはりリアルで体感していた人たちは羨ましいと思う。ラフォーレ原宿6F「BE AT STUDIO HARAJUKU」を舞台に行われた『HARAJUKU HOPPIN'』はそんなモヤモヤをポップに発散させてくれる人形劇だった。
『HARAJUKU HOPPIN'』は原宿・神宮前2丁目にあるブックカフェ「BOOKS BUNNY(ブックスバニー)」の店主・伊藤 沙帆(Saho Ito)さんが主宰の、パペット・クリエイター集団「STUDIO BUNNY」によるパペットショーである。パペット制作、脚本、撮影、演出、何から何まですべて手作りのパペット作品はYouTubeなどの動画プラットフォームにアップされ、高い評価を得ている。
会場内では過去の映像作品も上映され、自由に観覧できるようになっていた。
これまで「トーキョー カルチャート by ビームス」にてポップアップストアを行うなどしていたが、この度「BE AT TOKYO」協力の元、ラフォーレ原宿6F「BE AT STUDIO HARAJUKU」で初の公演を迎えた。そして、鑑賞者の意識を不思議な原宿の時間旅行の旅へと連れて行ってくれた。
「BOOKS BUNNY(ブックスバニー)」店主・伊藤 沙帆さんを中心とした「STUDIO BUNNY(スタジオバニー)」の面々。
初公演、初おろしの人形劇『HARAJUKU HOPPIN'』は、うさぎ(のような)不思議なパペットが原宿駅前でこれまた“不思議な人参”を食べて過去のオモハラ(表参道・原宿)へタイムスリップしてしまうというストーリー。
1960年代から、順を追って、その年代に流行した場所や人、トレンドに遭遇しながら現代までの時間旅行が展開される。スクリーンには当時の写真に「STUDIO BUNNY」が加工を施し、舞台劇とミックスされた映像が流れる。そのクオリティの高さとパペットの演技・演出が圧巻で、鑑賞者は主人公とともに、過去への不思議なタイムトリップを擬似体験できる内容だった。
1960年代は写真がモノクロ。なので登場するキャラクターもモノクロ仕様というこだわりよう。写真はまだ“リトルアメリカ”と呼ばれていた時代にの神宮前交差点にあったアメリカンなドライブイン「ROUTE 5」のシーン。
例えば60年代には今なおその姿を残す「コープオリンピア」や今は無き「原宿セントラル・アパートメント」(現在の東急プラザ)、白亜の教会と呼ばれていた、セブンスデーアドベンチスト東京中央教会(まさにここ、ラフォーレの建つ場所には教会があったのだ)、旧原宿駅舎などの姿を見ることができた。
今もその姿を残すデザイナーズマンション黎明期に建てられた「コープオリンピア」。1965年当時の分譲価格が最高で1億円を突破したことから、「億ション」と呼ばれる第一号となったマンションだ。
1970年代は「原宿セントラル・アパートメント」の1Fに入っていた喫茶店「レオン」を舞台に、「クールス」風のイカしたグラサンのパペットのお兄さんが登場する。(クールスを知らない?ならば年上のイカしたお兄さんお姉さんに聞いてみよう!)
「カフェ・ド・ロペ(モントークがあったところにあったこちらも伝説のカフェだ)」や、吉田拓郎のアルバムタイトルで「ペニーレインでバーボン」、「ペニーレインへは行かない」など楽曲タイトルにも引用されているジャズバー「ペニーレイン」が。(表参道・原宿に関連する昭和歌謡にフィーチャーしたコラム『OMOHARA SONGS vol.4』でも紹介。)
1980年代は竹下通りで隆盛したタレントのグッズショップやバンドブーム、キャットストリートの門番「ピンクドラゴン」やロカビリーファッションに身を包みツイストを踊る「ローラー族」、奇抜なファッションで観衆の目を引いた「竹の子族」をフィーチャー。“ホコ天”(歩行者天国。1977年から98年までの約20年間、原宿駅前から青山通りまでの欅並木を含む約2.2キロは歩行者天国だった)でパペットな「竹の子族」と「ローラー族」のダンスバトルは見応え抜群だった。
90年代は裏原宿を中心に隆盛したストリートカルチャーをフィーチャー。某ラッパーが登場したり、2000年に入ると、カリスマ美容師やKawaiiカルチャー、スナップブームを、といった具合に30分という上演時間にぎゅっと表参道・原宿60年を圧縮。その年代を写真とともに振り返るうち、あっという間に時間が過ぎていく。
90年代の原宿のストリートには某ラッパーらしきパペットも。
歴史をテーマとしていると聞いて、構える人もいるかもしれない。しかし内容はとてもキャッチーでポップ。知識があればうなずける場面が多くあるし、原宿について知らなくても子供から大人まで楽しめるエンターテイメントとして高いレベルで成立している。当時をリアルに過ごした年代も、思い出がフラッシュバックしつつクスっと笑ってしまうのではないだろうか。
他の年代も面白いのだけれど、個人的にブチ上がるのはやはり自分たちがリアルに過ごした年代。2003年の“盛れる”プリクラの先駆者的存在「花鳥風月」が出てきたときは「分かってるなあ」と心の中で拍手した。
大事なのは原宿について当時を知らない世代であっても、表参道・原宿の変遷を分かりやすくダイジェストで知ることができるということ。行きつけの店はあっても、よっぽど偏愛でなければ街の歴史なんて知る由もないのだから。
復刻やリバイバルでないオリジナル「カフェ・ド・ロペ」。行ってみたかった気持ちをパペットが代わりに体験してくれる。たかがパペット、と思うかもしれないが、侮るなかれ。これが不思議と心を満たし、胸がすくのである。
実際、一緒に撮影を手伝ってもらった友人は、原宿に縁もゆかりもない。そんな友人がニュートラルに観劇して「知らないことを楽しく知ることができた」と言っていた。
合間には「BOOKS BUNNY」で提供されているメニューをアレンジしたフードやドリンクを提供していて、お祭りのように楽しめた。
観ている誰もが置いてけぼりを食らわないのは、クオリティの高いパペット、映像、セリフ、脚本の完成度が全てかっちりハマっているから。仲間はずれを作らないように設計された、親切で丁寧な作りに「STUDIO BUNNY」の性格の良さが滲み出ていると思った。
当日は幅広い観客が会場を訪れた。ベビーカーで子供連れの人も。
上演後はメンバー全員で舞台挨拶。2日に渡る公演が終了して安堵の表情を浮かべていた。この公演のために、ほぼ一睡もせず準備に臨んできたという。
舞台上で語られる、パペットや物語、ひいては街に対する愛情から、その熱量の高さを感じとることができた。みんなが大事そうにパペットたちを抱えているのも印象的だった。
公演終了後、主宰の伊藤さんに話を聞いた。「1日目は私たちより上の、リアルに70年代や80年代の原宿を体感した世代の方もいらっしゃったんです。『こんなんじゃねえ』なんて言われるんじゃないかヒヤヒヤしました(笑)。」と笑う。
舞台挨拶で、「STUDIO BUNNY」の仲間たちと喜びを分かち合う伊藤さん。
全てを手作りして物語を作り上げる中で、苦労した点についても聞いてみた。特に映像に使った写真を集めるのは大変だったという。
そう。OMOHARAREALを運営していてもぶつかる大きな課題。2000年代以前の表参道・原宿の写真は、資料以外になかなかネットで見つけることができないのである。個人のものか有償のものが多いので、購入するか根気よく交渉をしなければならないのだ。
建て替えられ、今は新しくなった1960年代の原宿駅舎。1924年、戦火を免れて2020年まで使われた旧駅舎も今は写真でしか見ることができない。OMOHARAREALでは最後の日にその姿を撮影。
「基本的には自分が所有している本や雑誌を手がかりに、有償のものを買いまくりました」と、伊藤さん。かなりの量の写真を購入したそうだ。
劇中の世界観を壊さぬよう、人の顔が映っているものはあえて、パペット加工をひとつひとつ施している。その作り込みの細かさにも驚いた。
「コロナ禍になった2020年、人に会えないから、お店以外で何か出来ることはないか、という発想から店の常連や仲間たちとともにパペットの映像を作り始めた」と、STUDIO BUNNYのはじまりを伊藤さんは話してくれた。
「BOOKS BUNNY」・「STUDIO BUNNY」伊藤 沙帆さん。
現在、30代後半〜20代後半くらいのざっくり10年、“狭間の世代”では過去の原宿・表参道に憧れを持っている人は多いのではないだろうか。伊藤さんも自分と同世代。
「CHOKi CHOKi」が生み出した“おしゃれキング”、カリスマ美容師にフォーカスした2000年代。OMOHARAREALでは“おしゃれキング”として名を馳せ、現在もSHIMAのトップスタイリスト・アートディレクター、ヘアアーティストとして活躍している奈良 裕也さんにインタビューをしている。
それはケータイからスマホへ、そしてメールからSNSへ、という具合に、情報通信手段の発達と変遷によって、近そうで遠い過去の熱に、遠赤外線のようにジリジリと当てられていた世代である。
GAP前や表参道でさかんだったスナップカルチャー。今ではスナップハンターも少なくなってしまった印象だが、OMOHARAREALでもファッションとは違った切り口でスナップ企画を敢行している。
NIGO®とJONIOによる「NOWHERE」は写真でしか知らないし、遡れば、「カフェ・ド・ロペ」や「レオン」にも遊びに行ってみたかった。行けたところで、自分に入れる勇気と根性があったかどうかは定かではないが。
原宿をテーマにした劇に仕上げたのは、過去の原宿への憧れと情熱だ。今回のステートメント(素晴らしい名文なので記事末に全文を記載しておく)で
「その時代の原宿を肌で感じていた、
原宿のセンパイ方には、強い嫉妬を覚える」
という文言を見たとき「絶対に取材に行かなければ」とシンパシーを感じるのに時間はかからなかった。勝手に、原宿で生き、過去に希望と憧れを抱く同世代の同志を見つけた気がして、リリースを読みながらたまらなく嬉しかったのを憶えている。
今の原宿も好き!という前提で、どの時代を切り取ってもクールな文化を紡いできたことを伝えたいと伊藤さんは言う。自身の思いをパペットに託して。
仕事柄、原宿を拠点に活動し、そのヒストリーを知る人に会うことも多いのだけれど、当時その界隈にリアルに居た人の話というのは、とても面白くてワクワクしてしまう。昨年NIGO®氏が文化服装学院で行ったヴィンテージコレクション展『Future Is Past』に行った。その展示を見て、まさに過去を知ることは、未来を知ることでもあるのだと実感した。
幕間にはDJもスタンバイ。伊藤さんからは90年代〜2000年代の曲で、とリクエストがあったらしい。「MTV」で観ていたのが懐かしい楽曲たちにテンションが上がった。
私たちが今いる原宿はホコ天も、クリエイターの集まるセントラルアパートもない。しかし、過去からインスピレーションを受けて未来へ何かを残すことができるかもしれない。
ゲストアーティスト・鶴園哲美さんがパペットを描いた作品展示も。とことん来場者を楽しませようという「STUDIO BUNNY」の気概を感じる。
この『HARAJUKU HOPPIN'』や「STUDIO BUNNY」の存在、ひいては「BE AT STUDIO HARAJUKU」がこの場所にあったということも未来にとっては重要なトピックスになり得るのだ。
手作りのグッズも販売。3Dプリンタを使って出力されたものや手製のパペットまで。愛らしい表情や質感が可愛らしく、思わず食指が伸びてしまう。
パペットに思いを託した過去を蒐集する旅路。OMOHARAREALも同行し、未来へ何かを残せたらいいなと思った。このレポートはその第一歩。「STUDIO BUNNY」による、愉快なオモハラタイムトラベルエンターテイメント『HARAJUKU HOPPIN'』がいずれは、原宿の歴史を語る資料として残っていくことを祈りつつ、また近々、どこかで上演されることを期待したい。
フォトボードのパペットのイラストは伊藤さん本人によるもの。多方面にクリエイティブを発揮する多彩さが羨ましい。
ありがとう「STUDIO BUNNY」。素敵で不思議なタイムトラベルに、感謝を込めて。
<HARAJUKU HOPPIN’について>
リトルアメリカと呼ばれた60年代
伝説の喫茶店レオン
クリエイターたちが集うセントラルアパート
若者の熱狂で溢れるホコ天 ….
原宿ほどカルチャーの変遷が目まぐるしい街はない。
また、不思議なことに
どの時代を切り取ってもクールに見える、それが原宿だ。(…と思う。)
今も原宿がクールであることに変わりはない。
ただ、その時代に青春時代を過ごし、
その時代の原宿を肌で感じていた、
原宿のセンパイ方には、強い嫉妬を覚える。
タイムマシンがあるはずもなく
どうすることもできない私たちは
パペットに思いを託して
タイムスリップ旅行に飛び出した!
あの頃の原宿に思いを馳せて。
パペットたちに連れられて
古き良き時代をhoppingしませんか。
『HARAJUKU HOPPIN'』プレスリリースより
エンディングテーマと映像までしっかり用意されていた。昭和歌謡風のレトロなアレンジと映像編集がなされていて「STUDIO BUNNY」に抜かりなし。
Text:Tomohisa Mochizuki
Photo: OMOHARAREAL編集部