ラフォーレ原宿が聖地である理由(前編) 「BEFOREラフォーレ」と「AFTERラフォーレ」で街を比較
ファッションの街・原宿のアイコン的存在である、ラフォーレ原宿(以下、親しみを込めてラフォーレと表記)。学生の頃、鼻を膨らませながらセールに突撃した記憶も鮮明な、あの場所。テスト前で早く学校から帰れた日は、友達とドキドキしながらラフォーレに繰り出し、雑貨の「SWIMMER」でお揃いのヘアピンなんかを買ったものだ。
どこにあって、どんな雰囲気の場所なのかも、分かっているつもり。ただ、何となくラフォーレが独特な場所であることは分かっていても “それは何故? どんなところが?” ということを具体的に説明するのは、けっこう難しいのではないだろうか。
今回は、オモハラエリアを語る上で欠かすことのできないラフォーレ原宿を特集し、ここが “聖地” である理由に迫る。歴史を紐解き、多角的に見つめ直してみることで、きっとこの場所をさらに愛したくなるはずだ。
第1章:「BEFOREラフォーレ」と「AFTERラフォーレ」で街の歴史をおさらい
セブンスデーアドベンチスト東京中央教会。高橋靖子氏INTERVIEW記事より
戦後のオモハラエリアは、米国進駐軍の居住区「ワシントンハイツ」(現・代々木公園周辺)の影響から、アメリカ文化が流入するちょっと日本離れしたエリアだった。とはいえ、賑わうのは元日の明治神宮への初詣のときぐらい。“夜6時を過ぎると通りから人影が無くなる” と言われるほどの、まだまだ何も無い住宅街だったという。
後にラフォーレが生まれることになる場所には、プロテスタントの教会「セブンスデーアドベンチスト東京中央教会」および、ドライブイン・レストラン「ルート5」があった。「ルート5」(明治通り=環状5号線だから)は日本初のドライブインであり、当時としては珍しい深夜営業の店だ。1960年代、そこは自慢の愛車で乗り付けて洋楽を嗜むイケイケな若者 “原宿族” で夜毎賑わう伝説的な場所だったという。
眠れるこの地がいよいよ目覚め始めるのは、1964年の東京オリンピック前後からだ。「ワシントンハイツ」が五輪関係者の選手村として開放されると、その賑わいとともに、原宿に住む人、訪れる人の数が増加。ドライブイン、洋品店、喫茶店などが点在するようになり、次第にオモハラエリアは、海外の新しい文化が交錯する場所として熱を帯びてくる。
原宿セントラルアパート1Fに存在した伝説の喫茶店「レオン」店内。当時、様々なジャンルのクリエイターが集まっていた(撮影:染吾郎)中村のん氏INTERVIEW記事より
そしてオリンピック後、明治通りの交差点にあったセントラルアパート(1958年築)が、カタカナ職業のクリエイター(フォトグラファー、コピーライター、イラストレーターetc..)たちの巣窟として発展! 数多くの文化人が事務所やアトリエを構えるようになる。もちろん、そこにはデザイナーを始めとするファッション関係者の姿もあった。
1966年には、セントラルアパート内に日本初のブティック「マドモアゼルノンノン」が誕生。婦人服店でも洋品店でもない“ブティック” は、おしゃれで刺激的なものとして当時の人々に受け止められただろう。日本の新しいファッション時代の幕開けである。
1970年頃にはアンアン、ノンノといったファッション誌が相次いで創刊し、続々と原宿特集が組まれるように。メディアを通じて、原宿はおしゃれな街として認知されるようになっていく。
さらに1972年に地下鉄千代田線が開通し、街へのアクセスしやすさも大幅にアップ。1977年には歩行者天国がスタートした(後に、歩行者天国をディスコ代わりに踊る「竹の子族」が大量発生する舞台だ)。
そして……1978年10月28日、ラフォーレ原宿オープン! 街は「AFTERラフォーレ」に突入する。
当時は、ショッピングする場所といえば渋谷・新宿。知名度が上がっていたとはいえ、この地はまだまだその間に挟まれた “穴場” だった。40年前の原宿駅の乗降客は平日でわずか2000人、土日でも8000人程度だったという。
生まれたばかりのラフォーレは、超メジャーな渋谷・新宿に対抗するには自分だけの力でなく、街全体でのイメージ作り・盛り上げが重要だと考えた。具体的には、地域の商店街へ働きかけ、それぞれの商店のカレンダーや名刺にまで「ファッションのまち、原宿」というフレーズをサブリミナル的に入れることを提案。表参道の欅並木を美しく守るため、東京都にアピールも行った。
そもそもこの一帯は明治神宮のお膝元ゆえ、アヤシイ店舗はご禁制。文教地区に指定されていたため、若者が集まることはあれど繁華街化することはなかった。こうした背景もあり、原宿のブランディングは見事に成功。渋谷・新宿と大きく異なった、ファッションに特化した道を歩むことになる。
■豆知識その1
ラフォーレと同じ1978年生まれのメンバーを挙げてみると、「成田空港」「インベーダーゲーム」「スターウォーズ」「サタデーナイトフィーバー」「サザンオールスターズ」etc..と、華々しい顔ぶれ。この後に続く、バブル景気時代のスターとなるコンテンツが出揃った感がある。
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