
【レポート】GYRE GALLERYの「ヒストポリス - 絶滅と再生 - 展」 不死身の細胞、防弾皮膚…人類滅亡の世界を表現
GYRE GALLERYにて、2020年6月8日(月)− 9月27日(日)にかけて「ヒストポリス - 絶滅と再生 - 展」が開催されている。本来なら2020年3月に開催予定だったが、コロナウイルス感染症の世界的な流行に伴って会期は延期されてきた。
本展ではバイオテクノロジーを表現手法としたアートや、シャーレに息づく微生物そのものが展示会場に並ぶ。それらは嫌が応にも、人類が絶滅した世界……そしてその後に新たな歴史を作るだろう、ヒトではない生命の世界を思わせる。
「ネクロポリス(死者の都市)」の後ろから、出番はまだかとこちらを覗き込んでくる「ヒストポリス(生命を宿す都市)」。はっきり言ってしまえばそれは、バクテリアやウイルスといった微生物が生を謳歌する世界なのである。
「図らずも、ただの “展覧会” 以上にリアリティのあるものになってしまった」と、GYRE GALLERYディレクターの飯田氏は語る。
GYRE GALLERYは、表参道とキャットストリートが交差するポイントにある。ショッピングビルの3階にあり、来館者が自由にアートと出会うことができる異色の空間だ。
本展に出品しているのは、芸術家だけでなく研究者や起業家など、様々な一面を持つ6組のアーティストたちだ。フィールドは違えど、いずれも科学の文脈から世界を捉えている。
イントロダクションに続き、まずは「不死」を小テーマとした展示室へ進もう。
死なない細胞のセルフィー
左手にあるのは、きらめくモビールのような須賀悠介の作品。直感的に美しいと感じたが、これは癌のために二重らせん構造がいびつになったDNAを象ったものだという。癌化した細胞は分裂回数のリミッターが外れ、不死化することが知られている。
ガラス容器の中に見える、ピンク色の小片の名前を聞いたことのある人もいるだろうか。この「Hela(ヒーラ)細胞」は最古のヒト培養細胞だ。69年前に癌で死亡したある黒人女性の腫瘍から採取されて以来、現在に至るまで多くの研究室で培養され続けている。
BCL / Georg Tremmelによる本作は、自己増殖を続けるHela細胞が一定のサイズに到達すると、自動的にカメラのシャッターが切られる仕組みだ。隣には、研究室でこれまでに撮影された写真も掲げられている。生捕りにした異生物の観察記録のようで不気味な反面、癌細胞の自撮りのようにも見えて一瞬だけ可愛く思えた。
「スゴイ」と「ヤバイ」のあいだ
続く展示室は「キメラ」と題されている。キメラとは、複数の異なる遺伝子が融合した異形のもの。ライオンの頭とヤギの体、毒蛇の尾を持った神話上の怪物「キマイラ」に由来した言葉だ。
天井から大きく垂れ下がったテキスタイルと、それで作られたと思われる洋服がまず目に入る。ファッションデザイナーでもあるSynflux(シンフラックス)が制作したのは、架空の生物たちをいっぱいにプリントしたテキスタイルだ。アルゴリズムを活用して、人間〜獣〜鳥〜昆虫などの画像を溶け合わせ、夢で見るような妖しい生き物を量産した。
背後の3つのモニターには、様々な生物が融合していく映像が流れる。 “種の壁” が音も無く崩壊する様につい見入ってしまう。
人間のメタモルフォーシス(変身・変容)といえば、アート界では馴染みの深いテーマ。だがここにあるのは憧れや美化ではなく、淡々と続く生々しさだ。手前の画面は、ヒトの腕にエラが深く切り込まれ、魚?の眼が発生したところ(正直言って気持ち悪い……)。
《2.6g 329m/s》……通称「防弾皮膚」は、ジャリラ・エッサイディの代表作である。人間の皮膚と蜘蛛のDNAを組み合わせて創られた、低速度の銃弾に耐えうる強靭な皮膚だ。まるでアメコミのヒーローもの! 本展では、その実験過程の映像を壁一面に見ることができる。
オランダの起業家でもある彼女は、実用化を視野に入れて研究開発を進めているという。防弾皮膚のビジネスモデルが成功を収める場は、戦場しかあり得ないだろう。未知数の力への憧れを抱くと同時に、その向かう先を想像すると手放しに礼賛はできない。
生物に手を加えることは、一体どこまでが歓迎されるべき進化で、どこからが忌避すべき背徳なのだろうか?「スゴイ」と「ヤバイ」が日本の現代口語で溶け合っているのと同じように、倫理の境界は日々あいまいに揺らいでいる。捉えどころのない恐れを遠くに感じながらも、テクノロジーが歩みを止めることはない。
絶滅と、その先へのタイムカプセル
会場をさらに奥へ進むと、展示室の上から下へ、小ぶりな壺が落下してきて割れる姿が見える。これはBCL/Georg Tremmelによる作品だ。
この壺は、第二次世界大戦中に開発された731部隊の生物兵器を模したもの。中に病原体を持ったマウスを入れ、爆弾のように投下したのだという(室内を念のため見てみたが、割れた壺のまわりにネズミの姿はすでになかった)。隣には華麗に金継ぎされた壺がさも名品かのような顔付きで並べられ、アーティストの皮肉な視点を感じさせる。
そして展示室の奥には、低く唸るインキュベーター(培養器)が設えられている。巡らしてある立入禁止のテープには「わたしは人類 培養中」の文字。スピーカーからはポップな歌声が響き、バックにはTVゲームのようなドット絵でバクテリアがうごめく様子が映し出される。
やくしまるえつこは、微生物のDNA塩基配列に音楽コードを組み込み、記録媒体として培養する。そのプロジェクトが《わたしは人類》だ。そういえば、DNAがATGCの組み合わせで遺伝情報を伝えるのと、人間がドレミファソラシドの組み合わせでメロディを創るのはよく似ている。
培養器のなかに見える鮮やかなグリーンは、遺伝子を組み換えられたバクテリアが生きている証である。音楽の “乗り物” として選ばれたのは、シアノバクテリアの一種である「シネココッカス」。およそ27億年前から地球上に生きている大先輩だ。
アーティストによると、DNAの記録媒体としての寿命は生物学的には50万年だという。しかも音楽を組み込まれたこの微生物は、自己複製し続けることが可能なのだ。途方もない時間の向こう、おそらく人類が滅亡した後の世界へと、音楽情報が引き継がれる。
歴史は伝達と記録によって作られるが、そこには必ずわずかな変異が含まれるはずだ(伝言ゲームと同じである)。ポップミュージック《わたしは人類》においても、その不確実性は表現されている。「いったいなんでこうなったの」と歌う “わたし” はサビで「止めて止めて進化を止めて」と繰り返すが、やがてそれが「止めて止めて止めないで」に置き換えられるのはとても印象的だ。
ヒストポリスへ向けたタイムカプセルの中身は、コントロールしきれるものではない。音楽を乗せた微生物にあとは任せて、人類は退場することになるのだろうか。培養器の前でじっと音楽に耳を澄ますと、少し息が苦しくなった。
箱舟に乗れますか?
会場の最後には、言葉少なくシャーレが展示されていた。オレンジ色の培養液の中で、微生物がぷつぷつとコロニーを形成している。地球上で最強の放射線耐性を持つ微生物、《ディノコッカス・ラディオデュランス》である。
断定は難しいものの、ヒトの立ち入れない福島第一原発の炉心部には、現在この微生物が大量に繁茂している様子がうかがえるのだ、とディレクターの飯田氏が語ってくれた。
メルトダウンも核戦争も生き残れる生物を目の当たりにすると、「次の世界へ向けて選ばれたのは、私たちではないのかもしれない……」と愕然とする。人類は地球史のほんの数ページを占めているだけだということを、気がつくと忘れてはいなかっただろうか。急に世界の縮尺が小さくなるのを感じた。
GYREのアトリウムには、本展覧会をイメージしたインスタレーションが。透明なチューブの中に「有機」「人間中心」といったキーワードが漂う。よく見るとそれらの言葉が組み変り、融解しはじめている事に気づくはずだ。
まさに活力を取り戻しつつある表参道エリアで、この「ヒストポリス - 絶滅と再生 - 展」の持つ意味は大きい。本展に現れる微生物たちは、人間中心の視点から離れるよう私たちを誘う。
当たり前に思っていた思考を手放すとき、ヒトという生物が思いのほか頼りなくて恐怖を感じるかもしれない。それでも私たちは全力で知恵を絞り、芸術で精神を肥やし、どうにか絶滅を回避したいと思うだろう。
人が集まる場所を避け、マスクにまめな消毒スプレー。自粛から自衛へという旗印のもと、ひとりひとりが感染拡大を防ぐ行動を求められる2020年の夏だ。今だからこそという言葉は易々と使いたくないが、ここには、現代の私たちが自分の中に組み込むべき強いメッセージがある。
■概要
ヒストポリス - 絶滅と再生 - 展
主催:GYRE / スクールデレック芸術社会学研究所
会期:2020年6月8日(月)− 2020年9月27日(日) / 11:00 − 20:00 / 不定休(8/17休館)/ 入場無料
会場:GYRE GALLERY /GYRE 3F 東京都渋谷区神宮前5−10−1
Tel:03-3498-6990
Text / Photo:Mika Kosugi
