
【レポート】ヨックモックミュージアム「ピカソ コート・ダジュールの生活」展 火と粉の魔法
2020年10月25日(日)、南青山に「ヨックモックミュージアム」が開館した! お菓子メーカーの“ヨックモック”が贈る、ピカソのセラミック(陶器)作品を中心とした美術館だ。
記念すべき第一回目の展覧会は「ピカソ コート・ダジュールの生活」だ
ピカソと言えば、20世紀美術を代表する芸術家。きっと誰もが一度は美術の授業で目にして「???」とキュビスムの洗礼を受けたであろう、あのピカソだ。
ピカソがその晩年に、南仏で陶器づくりに心を燃やしていたことはあまり知られていない。また、彼のセラミック作品に特化した美術館は、ここ以外に世界でほかに類を見ない。
つまり、いま南青山で何が起きているかというと……
・世界有数のピカソのセラミックコレクションをたっぷり鑑賞できる
・そして巨匠のまだあまり知られていない一面を理解できる
・しかもその一面(陶器)はけっこう取っつきやすい!
・さらにオープンしたばかりの美術館の高揚感に浸れる
・おまけに併設のミュージアムカフェでヨックモックのスイーツを楽しめる
すなわち……俗っぽすぎるまとめ方で恐縮だけれど、得意になれる。自慢できる。ここは文字通りの“おいしい”コンテンツに溢れたスポットなのだ。
「ピカソ コート・ダジュールの生活」展は2021年9月26日(日)まで開催されるが、これはぜひ早めに足を運んで、「ヨックモックミュージアム、もう行った?」とニヤリ微笑みたいところだ。
焼き物がお好きでしょ
洋菓子メーカー、ヨックモックの創業は1969年にさかのぼる。創業時からの看板商品である「シガール」は、極薄のクッキーを細長く巻いたもので、贈答品の華としてよく知られている(このお菓子自体のことを “ヨックモック” と呼んでいる人も多いのではないだろうか)。
創業者の藤縄氏は美術好きだったそうで、そこからヨックモックグループは30年以上にわたりアートコレクションを充実させてきた。ピカソのセラミックを青山のヨックモック本店で少しずつ展示していたところ、これが好評を博し、やがて点数が500点に達したことを機に独自のミュージアムをつくるに至ったという。
おうち感が漂う、リラクシングな外観
ヨックモックミュージアムは、建物の素材も陶器やお菓子のように“焼き物”にこだわっているという。三角屋根に載ったブルーの瓦は南仏の瓦をオマージュし、床や壁は陶芸窯で使われている耐熱レンガをイメージ。そしてエントランス付近は、ヨックモック青山本店とお揃いのブルーのタイル貼りだ。
陶器の美術館らしく、館内の案内表示サインも陶芸家の荒木漢一によるもの。温かみある質感に注目!
ピカソの作品を守る意図から館内は撮影NGとなっている。このレポートでは場内の一部を特別に撮影させていただいたものの、作品部分には加工を施していることをご了承いただきたい。現地を訪れた人しか見られない……という特別感を加味して、アートとの対話を盛り上げていただければ幸いだ。
ピカソと陶器制作
鑑賞は地下1階展示室からスタート。ちょっと衝撃的なのは、作品の多くはガラスケースに入ることなく“直に”展示されているという点! 照明の反射を気にすることなく、表面の小さな気泡までじっくり眺められる。
(地下1階展示風景)黒壁に囲まれた室内に、作品たちがスポットライトで照らし出される
第一のセクションでは、ピカソが古代の陶器作品からインスピレーションを得て、それらを自分の芸術として進化させている様子を知ることができる。
壁に投影されているのは、職人と陶器工房にいるピカソの映像だ。焼く前の軟らかい状態の花瓶を手に取り、ひょいっと曲げて鳩を創り出す流れが映し出されていた。何気なく行われているのだが、ピカソの手さばきが笑ってしまうほど鮮やかなのでぜひチェックしてみてほしい。
職人との協働で生まれた「エディション」
ここで、ピカソの「エディション」について説明しておこう。
第二次大戦後、ピカソは陶器の名産地である南仏の街ヴァローリスに移り住んだ。彼の名声をほとんどの人が知らなかった(!)というその街の工房で、ピカソは熟練の職人たちと交流しながら多くの作品を生み出していく。
そして“もっと一般の人々の暮らしの中にアートを”という思いから、その一部はピカソの監修のもとで忠実に再現され、工房との共同制作作品として世に送り出された。それが「エディション」だ。その背景には、ピカソの政治的な姿勢も関係している。1944年にフランス共産党に入党していたピカソにとって、共同体の中で人々と共に働き、制作するというのはひとつの理想の形だったと言えるだろう。
ヨックモックコレクションはこのピカソ・エディションを包括的に揃えたコレクションである。
(エディションではない)ユニーク作品も、共同制作作品も、彼の偉大な芸術の一部であることに変わりはない。おそらくそんな意図もあって大きく打ち出されていはいないものの……さりげなく、ピカソ個人によるユニーク作品も本展中に2点ほど存在している。それがどの作品なのか、考えを巡らせてみるのも面白い。
〜恐れ入りますが
ここは想像力で乗り切ってください〜
そして小部屋のようになった次のセクションでは、ピカソの愛したふたりの女性それぞれをモデルにした作品が並ぶ。点数こそ多くないものの、とても見応えのあるセクションだ(写真でご紹介できないのが残念……)。セラミック作品だけでなく、版画や、ピカソと彼女たちの日常を切り取ったポートレートも併せて見ることができる。
ピカソの絵画は年代によって様々なスタイルを変遷するが、やっぱりキュビスムのイメージが強い。人物像では福笑いのように顔のパーツがあちこちを向いていて、ちょっと何が何やら……という印象を抱いている方も多いのではないだろうか。
アレは複数の角度からの視点を同時に描くことで、脳内で混ぜて立体を表現する“アナログ3D”とでも言えそうな実践なのだが、ここで見られるセラミック作品は違う。なんせ、そもそもが立体である。壷や皿の持つ膨らみや凹みに、ピカソが自由な発想で動植物・人間などのモチーフを羽ばたかせている。
例えば、恋人のフランソワーズ・ジローをモデルにした〈女性頭部像の三脚花瓶〉では、花瓶の「脚」の部分がそのまま頬杖をつく女性の腕になり、水を入れる膨らんだ部分が彼女の顔だ。これは捉えやすい。
何が描かれているかハッキリ分かる! という安心感のもとでピカソのタッチに注目すると、改めてその線の力にため息が出てしまう。陶器の絵付けは、筆を乗せるそばから定着が始まってしまうため、やり直しがきかない作業だ。工房の職人たちにも、必ずこのポイントからこの方向に描き始めるように、といった繊細な指示が出されていたという。
甘みは幸せという真理
(地下1階展示風景)
続くセクションでは、ピカソの小さな絵画〈お菓子〉を中心に、版画作品、代表作〈ゲルニカ〉制作過程の記録映像などを鑑賞できる。ヨックモックグループが〈お菓子〉という作品を所蔵しているとは、なんとも粋! 小さなキャンバスに皿に盛られたスイーツが描かれた、ほっこり可愛いらしい作品だ。
そしてこの作品を見る上で心に留めてほしいのは、これが戦争の惨禍を描いた大作〈ゲルニカ〉と同じ年・同じ月に制作されているということ。ふたつの絵は、大きさ・色彩・印象のすべてが対極にあるように見える。爆撃でいななく馬も、死んだ子供を抱いて泣き叫ぶ母親も、そしてクッキーも、砂糖がけのチェリーも、紛れもなく同じこの世界に存在するものなのだ。
〈ゲルニカ〉の悲痛さを感じれば感じるほど、〈お菓子〉の素朴な喜びが胸に迫る。もしかしたらピカソも、戦禍と同時に甘いものを描かなければやってられない思いだったのではないだろうか。
エレベーターで2階へ。途中で、陶器のフォルムをイメージしたトイレの案内サインを発見!
大事なものはここにある
2階はガラリと雰囲気が変わって、白壁に木の床という明るい空間が広がっている。ピカソのセラミックは、自然光で見ると色彩がとても鮮やかに見えるのが特徴なのだとか。ここでは自然光の中で常設展示が行われ、陶器をその本来の用途に近い状態で味わうことができる。奥にはピカソ財団による貴重なドキュメンタリー映像〈ピカソ:セラミック〉(約20分)を鑑賞できるコーナーもあるので要チェックだ。
ベンチに座り、光のもとで54枚の皿をゆっくり眺めてみよう。あなたはどの一枚が心に残るだろうか……ちょっとした心理テストのようだ
動植物や闘牛といったモチーフたちの中で、強いメッセージを放っている“絡まる4つの横顔”のモチーフに注目したい。四ツ葉のクローバーのように、人物の横顔が背中合わせに結びついて円形の皿におさまっている。ピカソによるこのデザインは「平和のための世界青年学生祭典」でも採用されており、4つの顔は四大陸を表す。大陸や人種の違いを超えて、人と人が協調し合い、つながる。そんな平和への願いが感じられる作品だ。
場内には、大きなダイニングテーブルに〈「魚」の食器セット〉を実際に並べた状態の展示も。皿や器に描かれた魚はどこかひょうきんな表情で、これから愉快なディナーが始まる、といった趣だ。陶器という実用品が生活を彩る様子を実感できる。平和って、こういうことかもしれない。
ピカソにとって、ヴァローリスの街でセラミック制作をしていた頃は、人生の中で最も穏やかで明るい日々だったという。長かった戦争が終わり、コート・ダジュールの陽気な気候の中で、ジローとの間に子供も生まれた。ピカソのセラミックは家族や制作仲間との何気無い日常を愛おしむ、優しい視線を感じる作品ばかりだ。
ピカソ御愛用品と同モデルというトン社のロッキングチェア〈ドンドロ 591〉は、実際に座ってもOK! ゆらゆらと中庭を眺めれば自然と穏やかな気分に
お楽しみはここから!
2階展示室から、階段を降りて中庭へ進もう。
南青山の空を切り取る中庭
階段にはオープン祝いの花が飾られていた
このままミュージアムから出ることもできるけれど、中庭に面したカフェ「ヴァローリス」で余韻に浸りながらひと休みするのもおすすめ。何と言っても、ここはお菓子とアートのコラボレーションを目指す「ヨックモックミュージアム」なのである。
展覧会とは関係なく、カフェのみの利用も可能だ
ここではヨックモックの高級パティスリーブランド「UN GRAIN」のスイーツを楽しめる。コースター作りなど、クラフトキットとセットになったアート体験型メニューも用意されているのが面白い。
ショーケースに並ぶミニャルディーズ(ひと口サイズのスイーツ)から、ここの限定メニューという「ヴァローリス」をセレクト。脳と身体に染みる……。キュッと締まるレモンの酸味は地中海をイメージしたものだろうか。
カフェの隣には美術書・雑誌を揃えたライブラリースペースが。こちらは、展覧会やカフェを利用すると無料で利用可能だ。中にはケースに入ったピカソ関連の貴重な書籍もあり、館の学芸員立会いのもとで閲覧できるそう(ちょっと緊張しそうだが、それでも見たい)。※ライブラリーのみの利用は不可
ここでは巨匠が身近になる
陶器が“火と土の魔法”ならば、焼き菓子は“火と粉の魔法”だろうか。どちらも日々を豊かに、幸せにするものだ。そして不意の衝撃ひとつで壊れてしまうものでもあるだろう。
戦後、晩年に差し掛かったピカソが暮らしと深く関わる陶器の作品を多く制作したこと、それをエディションとして複製させたことは、素朴で強い平和への願い・日常への愛を感じさせる。
「ピカソ コート・ダジュールの生活」展は2021年9月26日(日)まで。巨匠の想像以上に親しみやすい一面を教えてくれる、あたたかい展覧会だ。
ちなみに……本ミュージアムのオープンはピカソの誕生日に合わせて10月25日が選ばれたそうな。大の煙草好きだったというピカソがもし生きていたら、ヨックモックのシガールをくわえて満足げに記念撮影をしたに違いない。
※敬称略
■概要
ピカソ コート・ダジュールの生活
開催期間:2020年10月25日(日)~2021年9月26日(日)
開催場所:ヨックモックミュージアム
住所:東京都港区南青山6丁目15-1
休館日:月曜日・年末年始・展示替期間
※ただし月曜日が祝日の場合、翌火曜日
開館時間:10:00〜17:00 毎週金曜日は20:00まで
※入館は閉館の30分前まで
チケット代(税込):一般 1,200円、大学生・高校生・中学生 800円、小学生以下 無料
※障がい者手帳をご提示の場合、ご本人様と介護者1名様のみは無料
※大学生、高校生、中学生の方は学生証等の年齢のわかるものをご提示ください
Text / Photo:Mika Kosugi