【レポート】エスパス ルイ・ヴィトン東京のダグ・エイケン 「New Ocean: thaw」 トランク片手に心の旅を
軽く背筋を伸ばして、エスパス ルイ・ヴィトン東京へ。2020年11月13日(金)〜2021年2月7日(日)まで開催中の、ダグ・エイケンの展覧会《New Ocean: thaw》を訪れた。
本展は “展覧会” というより、没入型インスタレーション《New Ocean: thaw》を体感する場、と言ったほうが適切かもしれない。まさかいま、ルイ・ヴィトン表参道店の上にアラスカの氷河が広がっているとは……
ギャラリースペースであるエスパス ルイ・ヴィトン東京は、表参道店の7階にある
ハイブランドの上で待つ映像空間
白手袋のドアマンに誘われ、ブランデー色のエレベーターで音も無く7階へ。すでに高鳴る鼓動、である。
QRコードを読み取れば、文章を手元のデバイスにダウンロードしてゆっくり読むことができる。紙の配布物を減らす、環境に配慮した試みだ
ダグ・エイケン(Doug Aitken)は、1968年生まれ、カリフォルニア州出身のアメリカ人アーティスト。ちなみに、文献やサイトによっては「ダグ・エイトキン」と表記されることもある。
現代アート界で脚光を浴びる以前から、独自の映像表現でイギー・ポップやファットボーイ・スリムらのミュージッククリップを手掛けており、映像と音響を組み合わせて空間を演出する「ヴィデオ・インスタレーション」を得意としている。
1999年のヴェネツィア・ビエンナーレで国際賞を受賞して以来、世界で注目を集めている現代アーティストのひとりだが、日本ではまだそこまで広く知られていないのではないだろうか。
遮光カーテンをくぐり、いよいよ展示室内へ進もう。
溶け出す世界へ
目に飛び込んでくるのは、アラスカの氷河の映像だ。氷、水滴、太陽……断片的なイメージが不定期なリズムで繰り返される。
天井高およそ8mの空間に、幅広の三面鏡のようなスクリーンが2組向かい合わせて設置されている。天井から吊られたプロジェクターが、6つの画面それぞれに映像を映し出す。
映像は3画面ぶち抜きでひとつのイメージが映ることもあるし、それぞれに別々のイメージが映ることも
スピーカーからは氷河の自然音と電子音をミキシングしたものが流れている。ほぼ円形に設えてある画面の中心部に立つと、まさにサラウンド!
展示室内には、本作のためにウーファー(低音域のスピーカーユニット)が新設されたという
視野いっぱいに広がる映像はなかなかの迫力だ(ちなみに、人間の標準的な視野は左右で120度程度である)。前後に歩いてみて、自分にとってのベストな位置を探って鑑賞してみてほしい。画面に近寄りすぎると自分の影が映って恥ずかしいのでご注意を。
イメージは途中で天地が逆転し、強い違和感を抱く。この映像では上に氷河があり、下に空がある。なぜ逆さまなのだろうか? 見ている自分がひっくり返っているのだろうか?
移りゆく映像を眺めるうち、氷が割れるピシッと鋭い音のあたりから、次第に低音が存在感を増してきてハッとする。目の前のイメージの断片に物語性は無いけれど、溶ける氷、太陽、そして不穏な重低音に足元が寒くなる。もちろん寒そうな映像だからというのもあるが、「そういえば温暖化問題ってどうなってるんだっけ……?」という悪寒に近い。
パノラマ絵画ってご存知ですか?
見るものを包み込むこの設えは、19世紀後半に娯楽の中心的な存在だった「パノラマ絵画」を思わせる。世界に映画が生まれる前、大衆が “心の旅行” として楽しんでいたのは、このように視野いっぱいのリアルな絵画だった。
ヨーロッパで生まれたパノラマ絵画は各国で流行し、日本でも明治23年には浅草で「日本パノラマ館」なる専門施設が生まれている。憧れの観光地や心躍る未開の地、また歴史的な大戦を描いた絵画を円形にぐるりと配し、鑑賞者はその中心に立って別世界に没入することができたという。
残念ながら国内にパノラマ館は現存していないが、世界ではまだ30カ所ほど営業している施設があるそう。ハーグ(オランダ)やライプツィヒ(ドイツ)へ行く人は心に留めておくと面白いかもしれない。そういえばモネの「睡蓮の部屋」も似た狙いと言えそうだ。
《New Ocean: thaw》の「thaw」は「(雪や氷が)解ける」という意味だ
その場に行ったかのような視覚を得ることで、それは疑似体験になり、鑑賞者にとって “自分ごと” になる。
《New Ocean: thaw》の約4分間の映像の中では、地球温暖化問題への明確なメッセージは表されていない。けれどこんな風にスイッチを押してもらえさえすれば、私たちは(自分のことに関してなら)どこまでも想像力・心配力が豊かな生き物なのかもしれない。
いま、鑑賞する意味と意義
この《New Ocean: thaw》はエスパス ルイ・ヴィトン財団の所蔵コレクションのひとつ。制作年は2001年と、実はけっこう前なのだ。2002年に日本公開された際の画面は3つだったが、本展ではその2倍の数のスクリーンを設置して、さらに鑑賞者が作品中に入り込んだような印象を強めている。
北極圏では、地球上の他エリアの2倍のスピードで気温上昇が進むという。制作当時と比べて、決して2020年の状況がよくなっているとは言えない
鑑賞する時代が変われば、感じ取るものも変化する。こうして所蔵コレクション中の作品を改めて紹介する展示は、自分の今立っている世界をより鮮明に意識させてくれるだろう。
ほかの作品の例を挙げるなら、1999年のヴェネツィア・ビエンナーレで彼の名前を一躍有名にした《electric earth》では、人類が居なくなりコンピューターのみが残った世界が映像化されていた。インターネットの急速な普及を背景にした作品だったが、それは今日の目からするとまるで、ロックダウンした世界の大都市の姿を予言するようでもあったという。
ムービー中には、全面が鏡でできた家《Mirage》シリーズ(2017年〜)などが登場する
展示室の隣では、ダグ・エイケンの近年の創作活動を紹介するムービーが。アーティスト本人の語る「世界は初めと終わりのある連続したストーリーではなく、フラグメント(断片)の集まりである」という考え方は《New Ocean: thaw》のイメージにも見て取ることができる。
展示室を出ると、色づいた樹々が天井にも映り込んで美しい。左手には新国立競技場が見える
旅に出る冬
本作は「没入型インスタレーション」と銘打たれている。つねに情報や刺激に曝されている私たちだからこそ、“没入” という体験は、いま特別な価値を持つのだろう。自分を取り巻く世界をいったん置いて別世界へダイブすれば、想像力が息を吹き返すのを感じるし、何よりワクワクする。
そして……元祖・没入といえば「旅」である。
ここで思い起こすのは、ルイ・ヴィトンは「旅」をテーマにしたブランドだということだ。創始者のルイ・ヴィトンは旅行用のトランク製造職人としてキャリアをスタートした。意識してコレクションしているわけではないだろうけれど、同財団がこの作品を所有しているのは、何だかとても筋が通ったことのように感じた。
店頭のショーウィンドウにはいつもトランクが
ルイ・ヴィトン表参道店のビルも、トランクを積み重ねたイメージでデザインされているのだそう
2020年現在は、旅行という言葉に抱くイメージも人それぞれだろう。けれどこのヴィデオ・インスタレーションを体験すると、心がだいぶ遠くまで行けることは確かだし、それはとても豊かなことだと思うのだ。
ダグ・エイケンの《New Ocean: thaw》に没入できるのは、2021年2月7日(日)まで。停滞した何かを打破するきっかけとして、出かけてみてもいいかもしれない。
※敬称略
■概要
《New Ocean: thaw》
開催期間:2020年11月13日(金)〜2021年2月7日(日)
開館時間:12:00 〜 20:00
※休館日はルイ・ヴィトン 表参道店に準じます。
入場:無料
開催場所:エスパス ルイ・ヴィトン東京
住所:東京都渋谷区神宮前5-7-5 ルイ・ヴィトン表参道ビル 7F
電話番号:03-5766-1094
Text / Photo:Mika Kosugi