
かぐや姫、水谷豊、吉田拓郎…表参道&原宿を歌った、昭和の哀愁漂う8曲
カルチャーを生み出し続ける表参道&原宿は、多くのアーティストの歌にも描かれてきた。アイドル、バンド、シンガーソングライター……。ジャンルを越えて、街は様々な視点で切り取られている。そんな「OMOHARA SONGS」を紹介するシリーズの第4弾として「昭和の哀愁漂う」8曲をご紹介。
〜昭和の哀愁漂うOMOHARA SONGS〜
1.銭がなけりゃ/高田渡(1971)
2.アビーロードの街/かぐや姫(1973)
3.風の街/山田パンダ(1975)
4.レイン・ステイション/天地真理(1975)
5.表参道軟派ストリート/水谷豊(1978)
6.ナイト・スポット/桜田淳子(1978)
7.別れても好きな人/ロス・インディオス&シルヴィア(1979)
8.ペニーレインへは行かない/吉田拓郎(1984)
1.“都会”や“成功”の象徴として歌われる青山
「銭がなけりゃ/高田渡」(1971)
高田渡は70〜80年代に活躍したフォークシンガー。「銭がなけりゃ」は、彼がメジャーレーベルから初めてリリースしたアルバム『ごあいさつ』に収録されている。
街の名前が出てくるのは、曲の中盤と最後。「東京はいい所さ/眺めるなら申し分なし/住むなら青山に決まってるさ/銭があればネ!」と歌われる。関西でライブを行った際には“青山”を“芦屋”と神戸の高級住宅街に言い換えていたことから、ここでは“銭があれば住みたい街”(=都会の成功者が住む街)の象徴として登場するのだろう。
ちなみにメジャデビュー以前、高田は会員制レコードクラブ(今でいうインディーズレーベル的な存在)の「URC(アングラ・レコード・クラブ)」に所属していた。アルバム『ごあいさつ』のレコーディングには、URC時代から親交が深く、後に“伝説のバンド”と言われるようになる「はっぴいえんど」も参加している。
2.“ビートルズの歌がきこえてきそうな交差点”とは?
「アビーロードの街/かぐや姫」(1973)
名曲「神田川」で知られるフォークグループ「かぐや姫」。「アビーロードの街」が世に出たのは、大ヒットとなるシングルを発売するわずか2ヶ月前のことだった。
シングル「僕の胸でおやすみ」のB面としてリリースされたこの曲。雨の中、いつもは“君”と歩く道を一人で歩きながら、「あの日君は傘さして/青山通り歩いてた」ことを思い出す。そのうちに「ビートルズの歌がきこえてきそうと/二人で渡った交差点」にたどり着く。
きっとどこかの交差点に、ビートルズのアルバム『Abbey Road』のジャケットを重ねたのだろう。では、その交差点とはどこだろうか。青山通りには、みゆき通りや表参道と交わる表参道交差点、骨董通りと交わる南青山五丁目交差点、キラー通りと交わる南青山三丁目交差点など、交差点がたくさんある。歌詞には明記されていないのだが、青山通りを歩きながら、ぜひ探してみて欲しい。
3.郷ひろみ×西城秀樹×桜田淳子の共演で話題 青春ドラマの主題歌
「風の街/山田パンダ」(1975)
前述「かぐや姫」のボーカル&ベースとして活躍した山田パンダがソロで発表した「風の街」。当時、人気絶頂アイドルだった郷ひろみ、西城秀樹、桜田淳子が共演し話題となったテレビドラマ『あこがれ共同隊』の主題歌として制作され、山田自身も喫茶店のマスター役で出演した。
ドラマは表参道&原宿を舞台にした青春ストーリー。歌詞にも「表参道 原宿は/懐かしすぎる友達や/人に言えない悲しみすら/風が運んでしまう街」と、ドラマの世界観が描かれている。
余談になるが、この曲のコーラスを担当したのはバンド「シュガー・ベイブ」のメンバー。今や超一流ミュージシャンとして知られる山下達郎、大貫妙子、村松邦男だったというから驚きだ。
4.雨の山手線、傘を待つあの人を思い出す原宿駅
「レイン・ステイション/天地真理」(1975)
70年代に絶大な人気を誇ったアイドル・天地真理の9枚目オリジナルアルバム『小さな人生』収録曲。数々のヒット曲を世に送った“ゴールデンコンビ”として知られる松本隆(作詞)&筒美京平(作曲)により生み出された。
「揺れるガラス/流れる雨粒/こんな日はあの人が駅まで迎えに来た」「山手線で原宿すぎれば/傘を待つあの人が見えるような雨の街」
山手線で通りすぎてしまっているので、“あの人”との思い出が詰まった雨の街は、原宿ではないのだろう。しかし思い出の一部に蘇る街として、切ないメロディに乗って歌詞の世界にしっとりと登場している。
5.“右京さん”とのギャップに衝撃
「表参道軟派ストリート/水谷豊」(1978)
俳優として知られる水谷豊だが、70年代後半〜80年代にかけてはコンスタントに楽曲を発表するなど、歌手としても活躍していた。
「ねぇ、お茶飲みに行かない?/そこの黄色いセーターの女の子」という語りから始まるこの曲。テレビドラマ『相棒』の右京さんからは想像がつかないほど、チャラついた“軟派な”男が描かれている。
声を掛けた女の子には相手にされず「同んなじセリフばっかし言ってんのがいけないのかなぁ」「変えてみようか」などと試行錯誤。しかし歌は「ここは原宿/表参道軟派ストリート/チェッ、ついてねぇな今日は」と締めくくられている。結局ナンパは失敗に終わったようだ。
6.軽妙なメロディにとらわれる ヒットメーカーによる隠れた名曲
「ナイト・スポット/桜田淳子」(1978)
70〜80年代にアイドルとして活躍した桜田淳子。オーディション番組「スター誕生!」からデビューした同学年の森昌子、山口百恵とともに「花の中三トリオ」と呼ばれ、お茶の間の人気を博していた。
軽妙なイントロで始まるこの曲。しかし歌の中では、男女が夜更けの街で喧嘩をしている。「テーブルにお金を投げて/“帰ろう”」と出ていった彼。車に乗った二人は「墓地前抜けて/青山通りへ」「右に折れて/表参道へ」「夜更けの街/喧嘩でデイト」する。
「ナイト・スポット」はアルバム曲であり、世間に広く知られているわけではないのだが、心地いいリズムが妙に耳に残る。それもそのはず、作曲を担当したのは「傷だらけのローラ(西城秀樹)」「愛されるより 愛したい(KinKi Kids)」「A・RA・SHI(嵐)」など数々のヒット曲を生み出した作曲家・馬飼野康二。ヒットメーカーのテクニックにまんまとやられてしまったのだ。
7.切なさ募るムード歌謡 シルヴィアの美しさにも注目
「別れても好きな人/ロス・インディオス&シルヴィア」(1979)
ムード歌謡として一斉を風靡した「別れても好きな人」。これまで複数のアーティストが発表しているが、ロス・インディオス&シルヴィアによるデュエット盤が最もヒットしたリリースとして知られている。
大人の雰囲気漂うイントロに続く「別れた人に会った/別れた渋谷で会った/別れた時と同じ/雨の夜だった」「傘もささずに原宿/思い出語って赤坂」という歌詞。この後、恋人だった頃のように共にグラスをかたむけるうちに「やっぱり忘れられない」「別れても好きな人」と確信してしまう、なんとも切ない歌だ。歌詞には「渋谷」「赤坂」「高輪」「乃木坂」と、様々な街の名前が登場する。大人の恋が繰り広げられる街の一つとして、「原宿」も登場するのだろう。
8.変わりゆく原宿への寂しさを歌った曲
「ペニーレインへは行かない/吉田拓郎」(1984)
シンガーソングライターとして多くの後輩ミュージシャンに影響を与え、J-POPの礎を作ったといわれる吉田拓郎。「ペニーレインへは行かない」は、1974年に発表された「ペニーレインでバーボン」という曲のアンサーソングだ。
70年代の原宿には今のような賑わいはなく、若者が集まる店は数えるほどしかなかった。その中の一つが「ペニーレイン」。現在の「原宿餃子楼」のところにあったというこのバーは、吉田拓郎やかぐや姫のメンバーらフォーク界隈のミュージシャンの“溜まり場”だったという。
ところが時代が変わり、原宿はどんどん賑やかになっていく。自分には似合わない街になってしまったという寂しさが、「僕が知っている風景は/今はもう/原宿あたりにも心の中にもない/だからだから/ペニーレインへはもう行かないよ」と歌われているのだ。
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様々な視点で歌の世界に登場する表参道&原宿。曲の数だけ、そしてそれを聴く人の数だけ、この街ではドラマが生まれている。
「昭和の哀愁漂う曲」を紹介した第4弾。ロックやポップがまだ大衆的ではなかった70〜80年代ということもあり、今回ラインナップした8曲はフォークソングと歌謡曲が中心だった。
次回はいよいよ最終回。「遊び心が楽しいユニークソング」を紹介予定なのでお楽しみに!
Text:OMOHARAREAL編集部