姿や形が変わっても、愛される存在であり続ける
老朽化の一途を辿る逼迫した状況でありながらも、同潤会青山アパートメントの保存を求める人の声は多かった。当然といえば当然だろう。長らく街の象徴として存在し続け、街の人たちの思い出や記憶がそのまま同潤会青山アパートメントの歴史として刻まれているのだ。
後に表参道ヒルズの設計を担当する建築家の安藤忠雄氏が再開発の依頼を託されてから、実現に踏み切るには9年の歳月を要したという。
忠実に同潤会青山アパートメントが再現された表参道ヒルズ「同潤館」(2016年 OMOHARAREAL 編集部撮影)。かつて使われていた建材も一部に再利用されており、他の同潤会建築が現存していないことを考えると、限定的ではあるが貴重な建物である。
安藤忠雄氏は「あまりに大勢の人の意見があり、途中で何度も設計を辞めたいと思ったくらいだ」とインタビュー(TBS『筑紫哲也のNEWS23』2004年放送の番組内「レトロアパート再開発が問う “風景の再生”より)で本音を語っている。それほどまで人々の記憶に深く根付き、必要とされた同潤会青山アパートメント。氏はインタビューでこう続けている。
「風景というのは心の中に残す大変重要なもの。生まれてきてから蓄積されたもの。その心の中の記憶がなくなれば、命が削られ、命がなくなるのと同じだ」と。
景観を大切にして生まれた同潤会青山アパートメント。それゆえに時代を経てなお、人々に愛され続けた。その意思を残す形で、同潤会青山アパートメントは表参道ヒルズへと姿を変えた。
OMOHARAREALでは建築家 / デザイナー / コピーライターの各務太郎さんに寄稿していただいた、表参道ヒルズの建築にフォーカスしたコラムも過去に掲載しているので併せて読んでみてほしい。
始まりは、明治神宮や参道との調和という、街や地域とのつながりを意識して建設された同潤会青山アパートメントは、集合住宅として人々のつながりを元に大切にされていき、街がカルチャー色を帯びるようになってからは、ブティックやギャラリーに様変わりをして街と新たなつながりを得ていった。単体で成立するものなど一つもない。それは人と人とのつながりもそうだし、建物でもそうだ。
かつて「同潤会青山アパートメント」の近くにスタジオを構えていた写真家・松岡 伸一さんが撮影したもの。今回、記事制作にあたり、写真の使用を承諾してくれた。当時の、憧れが詰まった場所への愛情が感じられる1枚だ。禁転載
写真:松岡 伸一 株式会社アット/AT WORK STUDIO 代表)
同潤会青山アパートメントは表参道ヒルズとして新たに姿を変え、これからの表参道を彩り、心の中に残る新しい景色となって、街と人々と調和していくだろう。「長きに渡って愛され続けたい」という思いが、その建物には込められているのだから。表参道ヒルズを訪れた際にはぜひ同潤会青山アパートメントの存在に思いを巡らせてみてほしい。
2021年12月 OMOHARAREAL編集部撮影
旧くは戦火から欅並木を守り、表参道の礎を築いてきた同潤会青山アパートメント。その存在なくして今の表参道の姿はなかったかもしれないことを考えると、建物自体はなくとも建物と街とのつながりや、その歴史を忘れないようにしたい。