カルチャー発信拠点としての同潤会青山アパートメントの変遷
関東大震災と第二次世界大戦。二度の大きな悲劇を経験した表参道だが、戦後には明るい時代を迎えることに。 いまの代々木公園のある場所に、日本に駐留する米軍の街「ワシントンハイツ」がつくられたことがきっかけで、周辺には米軍のためのアメリカンな店舗が軒を連ねるようになる。それがいまの原宿・表参道のカルチャー街としての起源だ。最先端のアメリカ文化が集結する表参道に、目新しいものに敏感な人々が集うようになっていく。トレンドの発信地にある同潤会青山アパートメントは以前にも増して注目されることとなった。
今の代々木公園がある場所の一部に作られた、日本に駐留する米軍の街「ワシントンハイツ」。
写真:東京街歩き
そして、1964年(昭和39年)には東京オリンピックが開催。ワシントンハイツ跡地に屋内競技場や選手村がつくられ、表参道周辺は海外の食文化やファッションなどが積極的に取り入れられるエリアとなった。
華やかな街並みがどんどん形成されていくなか、立地の良さからカルチャー人が同潤会青山アパートメントに住むようになる。スタジオジブリの関係者も住んでいたという。ちなみに、80年代のドラマ「海岸物語 昔みたいに…」では、奥田瑛二が演じる主人公の住居という設定にもなっていた。
戦後には同潤会の管理が移り変わり、同潤会青山アパートメントは居住者に払い下げられることになった。そのタイミングで、住居としてだけでなく商業スペースとしての利用も可能となったのだ。カルチャーとトレンドの最先端を生み出すこの表参道沿いで、ブティックやギャラリーとして部屋を利用する人が現れ始めた。
たとえば、『VOGUE NIPPON』、『BRUTUS』、『GINZA』など名だたる雑誌のアートディレクションを手がける藤本やすしが作ったギャラリー「ROCKET」は、幅広いアートやカルチャーを発信する場として、多くのアーティストやクリエイターを世に輩出した。
デザイナー・藤本やすし氏の書籍『ROCKET』に掲載された同潤会青山アパートメント。当時の同名ギャラリーでは、蜷川実花氏など気鋭のアーティストが展示会を催していた。禁転載
第一次世界大戦以前の欧米のアパートメントを元にした重厚で凹凸のあるデザインも相まって、独特の存在感と特有の雰囲気を醸し出す同潤会青山アパートメントは、カルチャー街の中心地で長らく愛されていくことになる。
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