「裏原ブランドを1つ以上挙げられる」は47%
表参道&原宿に関するアンケート調査を通して、街の今の気分をキャッチしようというコーナー「OMOHARA総研」。OMOHARAREALのSNSを活用して、街のユーザーのリアルな思考・感覚を探ります!
※OMOHARAREALのInstagramでは、フォロワーの88%が「月に1度は表参道か原宿に来る」と回答。年齢層は1位が25-34歳(37%)、2位が35-44歳(25%)、3位が18-24歳(20%)。フォロワー数6445人(2019年4月9日現在)
【今回のアンケート調査内容は…】
「『裏原』がどこか説明できる?」
90年代中盤に巻き起こった「裏原ブランドブーム」により誕生した「裏原」という言葉、そして「裏原」というエリア。伝説のショップ『NOWHERE』から始まり、NIGO®氏による『A BATHING APE®』、高橋盾氏による『UNDERCOVER』、滝沢伸介氏による『NEIGHBORHOOD』、宮下貴裕氏による『NUMBER(N)INE』などのカリスマブランドが一時代を築き上げ、NY発『Supreme』をはじめとする世界のストリートブランドにも影響を与えた巨大ムーブメント。その発信拠点が「裏原」であった。
今ではエリア名として世代を超えて定着し、当然のように使われているが…「裏原」がどのエリアを指すのか、みな正確に把握できているのだろうか。
【調査結果は…】
説明できる:48%
説明できない:52%
(回答数153名)
ということで、過半数が「説明できない」と回答。なんとなく「原宿の裏」だということはイメージしつつも、正確なエリアの範囲を把握できている人は意外と少ないよう。
【「裏原エリア」とは?】
ということで、改めて、「裏原エリア」の位置を解説!(※定義は複数あり)
「裏原宿」の当初の定義は、竹下通りを抜けて明治通りを越えた路地裏のエリア一帯。当時はまだ商業地域として発展していず、入り組んだ通りに木造モルタルアパートが並ぶような地域であったが、だからこそ賃料の問題で竹下通りにショップを構えられない若者が集まり、独自の「裏原カルチャー」が誕生した。その後、徐々に範囲は広がり、現在では明治通りから一本入ったキャットストリート周辺のエリア全域が「裏原エリア」と呼ばれている。
【当時の「裏原」についてのコメント】
ここで、OMOHARAREALがこれまでに各方面から入手した、当時の裏原についてのコメントもご紹介。
■編集者/フォトグラファー 米原康正さん
「APE®とかNEIGHBOURHOODとか、世界中の価値観を変えるような仕事をサクッとやっちゃう20代の彼らは男からするとすごくカッコ良かった。たとえば欧米の人たちってそれまで白いTシャツなんて着なかったんだけど、裏原が流行ってからはみんな白Tを着始めた。Supremeだって、裏原がなかったら生まれてないよね。少量生産とかダブルネームでリミテッド感を出して列を作らせるみたいなやり方は、全部裏原から生まれたから」(【INTERVIEW】カルチャーの最前線を追い続ける男・米原康正が語る原宿の歴史 より)
■俳優/プロデューサー 小橋賢児さん
「仲間と手作りで始めたようなものが、どんどん友達を介して、ときに芸能人も介して、大きなムーブメントになっていくような時代。20歳そこそこの若者が、1人1ブランドくらい持ってたんですよ。信じられないと思うけど、Tシャツブランドはやってて当たり前。だから23歳くらいでいきなり巨額の富を持っちゃった人たちもいました。裏原がバブルになったときはヤバかったですよ」(【対談】米原康正×小橋賢児 90年代の裏原ブームを本音で振り返る より)
■「#FR2」創設者 石川涼さん
「裏原ブランドをやっている人たちはすごいと思っていました。いい意味で”学生の遊び”の延長みたいなことがブランドになって。買ったりしたことはなかったけど、自分たちでものを作り出してビジネスにして、スターになっていっていて。自分と同じような年代の人もいたし、俺もやるならステージ側に立ちたい、そうじゃなきゃ嫌だと感じていました」(【INTERVIEW】渋谷のストリートを制した「VANQUISH」創設者・石川涼が「#FR2」関連店を原宿に続々出店する理由とは より)
■「FRUiTS」創刊者 青木正一さん
「原宿って”場所”が意味を持ちやすいエリアですよね。NIGO®さんと高橋盾さんが『NOWHERE』をスタートした場所とか」(【INTERVIEW】『FRUiTS』創刊者・青木正一が語る原宿の歴史と未来「不協和音が街のファッションを変えようとしている」 より)
■「NUMBER A」オーナー 志賀竜斗さん
「原宿に初めて来たのは中学生のときです。ワクワクしながら竹下通りに行ったらカツアゲされました(笑)。高校くらいで裏原ブームが来て、NIGO®さんと高橋盾さんが作った『NOWHERE』に朝から2時間くらい並んで服を1着買った思い出も」(【INTERVIEW】「NUMBER A」オーナー・志賀竜斗氏が語るオモハラ。山本宇一氏との交流。表参道に「バカ」な店を!? より)
エリアの位置を意識しながら読むと、より当時の様子を具体的に想像できるのではないだろうか。
【おまけアンケート】
ちなみに、今回は同時に、「裏原ブランドの名前を1つ以上挙げられる?」という調査も実施。結果は…
はい:47%
いいえ:53%
(回答数137名)
ということで、いま原宿を訪れるユーザーたちの中には、「裏原ブランド」という概念自体を知らない人も少なくなさそう…。
時代は変わりつつあるが、「裏原ブーム」によって誕生した「裏原」というエリア名は今後も愛され続けていくだろう。訪れるときはぜひ、「裏原エリア」に満ちていた野心的かつ夢のあるムードの名残を、感じてみてほしい。
Text:Takeshi Koh