まだ冷たい雨の降る2月、フットウェアブランドgroundsのオフィスにてディレクターである坂部三樹郎と詩羽によるコラボシューズの対談インタビューが行われた。OMOHARAREALでは光栄にも、groundsオフィシャルサイトに掲載されるインタビューを担当。(リンクは記事末に記載)
そのインタビューの中で、お互いの印象からコラボシューズ制作の経緯を聞いていく中で、原宿ファッションの今と昔の変化を尋ねてみた。
詩羽「好きな街はどこですかって聞かれたら、原宿って答える」
坂部:僕が原宿で過ごしてきたのは90年代で、本当に、裏原ブームやストリートファッションが確立される以前から知ってるんですけど、その頃を知る僕から見ても詩羽さんは、超派手。
「そうなんですか?」と詩羽さんは意外そうに聞き返す。
確かに原宿の90年代のファッションと言ったらなんとなく原色で派手なイメージ、というか先入観がある。リアルな90年代を見てきた坂部さんに“超派手”と言わしめる詩羽さんとの違いはなんなのか。
坂部:感覚的に、詩羽さんはただ派手な人とは違う気がしてて。昔の派手な人ってめちゃくちゃ派手な格好してても、メイクを全然してなかったりとか、ちょっとアンバランスだったんですよ。詩羽さんはメイクもファッションもバランスが、すごく整っていて自分らしさを表現できている。たぶんそこが昔と今の原宿ファッションのいちばんの違いなのかもしれないって、詩羽さんを見ていると思う。
そして詩羽さんのファッションを今の原宿の感覚と照らし合わせて続けた。
坂部:昔は派手だけど、もっとアンバランスだった。独特な派手さ、目立てばOKという粗野な部分が魅力でもあったんですが。今は詩羽さんのようにもっと洗練された、トータルのファッションとしてグローバルに興味を持たれていると思います。
90年代初頭、裏原カルチャーがまだそう呼ばれる以前に原宿でその熱気を体感していたという坂部さん。確かに、“詩羽のファッション”と一口に言っても服装だけではなく、髪型、メイクに至るまで細部までこだわりを感じるとともに、それこそ靴までトータルで“詩羽”を表現しているように見受けられる。
当の詩羽さんは原宿のファッションや、昔のファッションを意識しているのだろうか。
答えはNO。「無知であるからこそ表現できる気がする」と、自身を源泉とした表現を追求する。今回のコラボシューズも、詩羽の中から湧き上がってきたアイデアが落とし込まれている。それが詩羽を詩羽たらしめ、その歌声やファッションが人々を魅了するのだ。
詩羽さんに“原宿っぽさ”を強く感じるのはかつてゼロからイチを作り出し、さまざなトレンドやムーブメントを生み出してきた原宿のD.I.Y.精神から来ているかもしれないと思った。
そんな詩羽さんはかねてからプライベートでもよくオモハラの街を訪れるという。街についての印象を聞いてみた。
詩羽:私の知ってる昔の原宿って、みなさんが思うほど“昔の原宿”じゃないんですけど(笑)。私はずっとこういう格好をしていて、普段からこんな感じの格好で原宿とか行ったりするんですけど、他の街に比べて、嫌な感じがしないですね。
嫌な感じというのはどういうことなのか?詩羽さんはこう続けた。
詩羽:すぐ近くの渋谷駅の方だとちょっと、見え方(自分の)が違いますよね。他になかなか同じような人がいないからこそ、歩いてるとどうしても1歩前に出てる感じになっちゃうんです。
私はそれを別に望んでるわけではないので、原宿周辺の方が圧倒的に嫌な視線じゃなくてポジティブな視線を感じる気がします。自然に街が受け入れてくれるような感覚。
人に見られる立場だからこそ、敏感に感じ取る人々の視線。表参道・原宿では、その視線に込められた印象が違うという。
“個性的あふれるファッションの街”という印象も、昨今はだいぶ薄れてしまったという見方もあるオモハラの街。しかし、根本的にファッションへ注がれる視線の意味合いは他の街とはまるで違うのだ。
詩羽:原宿も派手じゃない、いわゆる普通のファッションをしている人が多くなって、みたいな話は良く聞くけれど、それでもやっぱり“普通じゃない”とされる感覚を、受け入れてもらいやすい街かなと思います。「あ、ファッションがかわいいって思ってもらえてるんだな」っていうのが、見られている方はすごく分かる。だからこそ私は、高校卒業してからずっとこんな感じですけど、好きな街はどこですかって聞かれたら、原宿って答えると思いますね。