ブームを作るよりもカルチャーを創りたい。「原宿発“Kawaii”」の始まり
「ガーリーな感じは、昔から原宿界隈でよく見かける女の子のファッションスタイルだったけれど、彼女たちのスタイルを外部のオトナに説明するためには分かりやすいキャッチが必要と感じていました。そこで考えたのが青文字系という言葉。当時爆発的ブームだった『CanCam』に代表される赤文字系雑誌と対抗する意識はなく、こんなスタイルの子たちがいるんだよと分かりやすく表現したかったんです。たまたま赤文字系がすでにあったから、思いつきました。今にして思えば違う色でも良かったかな(笑)とにかく、そんな彼女たちを原宿系、青文字系としてマネジメントしたいという思いが、ASOBISYSTEM(アソビシステム)設立に繋がっています。当時はまだ、青文字系の子たちは芸能界では全然注目されていませんでしたけど。」
青文字系とは『Zipper』や『CUTiE』、『FRUiTS』に代表される、カジュアルで自分らしい、個性的なスタイルを楽しむガーリーなファッションスタイルのこと。新しいカルチャーを世に問いたいと考えていた中川氏にとって、新しい言葉の創出は必然だった。
2007年、中川氏が中心となり、イベント企画や芸能・モデルエージェンシーを兼ねたアソビシステムを設立。「原宿発“Kawaii”」の一助を担いたいという思いから、事務所は原宿に構えた。「5iVESTAR」などのイベントに関わっていた読者モデルを中心に声をかけ、マネジメントをスタート。SNSという言葉がまだ無かった当時、アソビシステムはAmebaブログに目をつけ、読者モデルたちに青文字系モデルという肩書きを添え、ブログを書いてもらった。
「駆けだしの会社はアイデアで勝負するしかありません。結果、ブログのランキング上位に青文字系モデルの子たちが軒並みランクイン。徐々に“青文字”という言葉とスタイルが認知され、このカルチャーを代表するモデルやアパレルが登場し、確かな足取りで支持されていきました。アソビシステムの原点には、人が集まる場所で新しいものを作るという思いがあります。創業当初からブームを作ることよりもカルチャーを創るという思いがあったからこそ、生き残れたのは確かだと思います」
アソビシステムの躍進の原動力になったのは、きゃりーぱみゅぱみゅと中田ヤスタカとの出会いだった。中川氏が当時を振り返る。
「きゃりーはもともとアソビシステムでやっていたイベントに出ていて、当時は雑誌の読者モデルとして小さく写ってる子でした。『ブログやSNSが面白い!』という噂は聞いていて、実際に会ってみるととっても良い子で真面目、そんな彼女のパーソナルな部分に可能性を感じました。中田とは美容師ナイトの頃から一緒に動くことが多く、きゃりーを中心に昼の14時から19時までのイベントを提案したのも彼でした。半分、ノリです(笑)。当時、きゃりーは服飾の専門学校に行こうとしていたけど、『1年やってダメだったら専門学校に行こう』と説得。ひとりの人生を背負うことになるのでみんな必死でしたよ、めちゃくちゃ頑張りました。幸運なことにきゃりーの認知度は原宿にいる女の子たちから口コミで広まって、SNSやメディアの力も追い風となり、次のステージを見据えることができました。きゃりーはいまも変わらず、原宿の元気玉です」
いつの時代にあっても原宿は“新しいカルチャー”を生みだす街だ。街にはそれぞれ違った魅力があるものだが、歴史に裏打ちされた表参道・原宿がもつ潜在的な熱量の高さは特別だ。中川氏率いるアソビシステムは時代の風を作り、青文字系カルチャーをメインストリームに押し上げていった。青文字系という大きな渦は全国に飛び火し、やがて「原宿発“Kawaii”」として世界に広がっていくのだった。
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