駆け抜けた90年代原宿。グランバザール、イルミネーションから学んだ「街づくり」の原点
1964年のオリンピックイヤーに誕生した荒川氏は、国立競技場近くで肉屋を営む叔父に連れられ小学生時代に原宿デビュー。予備校へはVANショップ(60年〜70年代に青山から一世を風靡したアイビーファッションブランド)のランドリーバッグで通い、大学時代も雑誌を片手に原宿中を巡ったファッション好き。森ビル入社後、移動希望を提出し続け、念願のラフォーレ原宿へ配属された。1989年当時、すでにラフォーレ原宿はファッションの発信地として全国的に知られる存在であったが、そこで彼が最初に学んだのは「街づくり」の意識であった。
荒川氏は、学生時代に持ち歩いていた『別冊MEN'S CLUB』やVANショップのランドリーバッグを今も大切に保管している
「僕が社員になって最初に経験した大仕事は、今も続く表参道のイルミネーションプロジェクトの庶務係。当時の館長・佐藤勝久が欅会(表参道の商店街組合)の方々と協力しながら先導していたのですが、僕が指令された任務は『警備と清掃』。冬の夜にみなさんがキャーキャーと手を繋いだりキスしたりしている中、僕は走りながら一生懸命にゴミを拾っていました(笑)。大変でしたが、街を輝かせるために、裏で大人たちが組織の枠を超えて一致団結している様子を見て、原宿の深い魅力を知りました。これが僕の仕事の原点でもあります」
現在も冬の夜を輝かせるケヤキ並木のライトアップ。初回は1991年に実施され、木へのダメージなどを考慮し1999年から10年間は休止したが、2009年にLEDを採用する形で復活した
入社直後の強烈な思い出として、ラフォーレ原宿の向かいに存在した「原宿セントラルアパート」の喫茶店「レオン」のエピソードも。「当時の原宿セントラルアパートにはクリエイターや文化人の皆様が入居されていて、『レオン』ではトップデザイナーの皆様をはじめ、四方義朗さんなどオーラに溢れる方々ばかりでして。タバコ部屋のように皆様が集まり、ひとつのコミュニティになっていました。上司に呼ばれて、僕は事務所の書類を持ってきたりするただの使いっ走りでしたが、めちゃくちゃ緊張していました」(撮影:染吾郎)/スタイリスト・中村のんさんのインタビューより
荒川氏の口から語られる90年代の思い出の中で、彼はいつも街を走っている。ラフォーレ原宿の名物セール「グランバザール」が始まった当初の原宿でも、やはり彼は走っていた。
「当時、ラフォーレ原宿がセールをすると高校生が学校を休んで来ちゃうということで『教育に良くないビル』というレッテルを貼られかけていたんです。そこで館長の佐藤が『セールを朝6時スタートにして、高校生にはラフォーレに寄ってから学校へ行ってもらおう』と考えた。結果『早朝のバーゲン』という面白さが話題となり、さらに人が集まり竹下通りまで列ができてしまった…これが『グランバザール』の伝説です。そして佐藤は僕に『君は足が速いから行列の整備をやれ』と(笑)。携帯電話もない時代で大混乱でしたが、ファッションのために早朝から原宿に集まってくださる若い方々のエネルギーに驚きながら、大きな可能性を感じたことを覚えています」
ラフォーレを語る上で欠かせないのが見た者に強烈なインパクトを与える広告。荒川氏は、大貫卓也氏によるグランバザールの行列を表現したこの広告写真が特に心に残っていると語る。「ラフォーレって、公序良俗に反しないものにしようと決めてはいますが、それ以外は制限がほぼない。広告でありながら、自由に表現できる形を意識してはいます。原宿らしくクリエイターを応援しようという文化、そして『自分たちなんて施設としたら小規模なんだから、楽しいことやっていようよ』という感覚もあると思います(笑)」
その後、街のシンボルに身を置きながら、DCブランドブーム、裏原ブームなど原宿から生まれるファッションのエネルギー、そして数々の才能が羽ばたいていく様子を見てきた荒川氏。中でも特に忘れられない人物は?
「私と同年代だからということもあるのですが、『X-girl』や『MILKFED.』を展開するB's INTERNATIONALの皆川伸一郎さんですね。彼は1995年に『X-girl』をラフォーレに出す少し前まで、自ら輸入や仕入販売をしていて、貯めたお金で海を渡りチャンスを掴まれた。皆川さんが海外より、ラフォーレの営業部に国際電話で『店をやりたいから区画を空けてくれ』と言い、当時の上司が『お前のその情熱、買った』と電話1本で出店が決まったと聞いています。最初のファッション・ショーをソフィア・コッポラとスパイク・ジョーンズがプロデュースしたことでも話題になった『X-girl』は世界的に大成功。同年代の人間が、大きな志を持って夢を叶えていく姿を間近で見たため、強烈に印象に残っています。アメリカ発のファッションブランドが成功するために、原宿という街が、ラフォーレ原宿という館が、必要とされているのだという事実にも心が昂りました」
ラフォーレ原宿とともに90年代の活気ある街の時代を駆け抜けた荒川氏。2000年代は、約300m移動し、新たに誕生する表参道ヒルズから街を眺めることになる。
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