裏原ブーム後期の原宿に“空っぽ”のカルチャースペース「VACANT」を
「それまで街の時代の顔となっていた裏原カルチャーとは全く異なる、新しい文化を自分たちが起こそうと思っていました」
時は2009年。裏原ブームが落ち着きをみせる中、当時24歳だった中村氏は、ロンドンの大学で出会った永井祐介氏(NO IDEA代表)らと共に「VACANT(バカント)」を設立。立ち上げメンバーは全員が20代前半であった。
2009年5月、裏原宿の伝説的古着店「DEPT」の跡地に誕生したフリースペース「VACANT」。「人が出会い、創作する場所をつくる」をコンセプトとし、前衛的アーティスト集団・Chim↑Pomの展覧会でオープニングを飾って以来、ブックフェアから演劇、ライブまでジャンルレスなイベントを企画し続け、2019年のクローズまで存在感を放ち続けた
「『VACANT』は名前の通り、常に“空っぽ”の場所。入るコンテンツによってイベントスペースにもライブ会場にもギャラリーにもなる。2009年当時、過熱していた裏原ムーブメントが落ち着きシャッター街のような状態になっていたあのエリアには、そういう場所が必要に思ったんです。大学時代を過ごしたロンドンにもシャッター街のようなエリアがありましたが、そこではウエアハウスを始めとする遊休物件を活用してイベントやポップアップストアなどを行うスポットがあちこちにあり、とても刺激的でした。それを原宿にも落とし込めないかなと。空っぽの倉庫の中でコンテンツを回すなかで、新しい何かが生まれていけばと思いました」
初めてこのエリアに訪れたのは小学生時代、服を買う姉に連れられて青山に。「当時と今で景色が変わらないのはヨーロッパ的ですね」と話す中村氏。建物は変えず、中身のみを変える——その価値を大学時代を過ごしたロンドンで五感を通して学んだ。「逆に原宿周辺はどんどんと姿を変えますね。でもそんな場所だからこそ、自分たちにできる新しいことがあると思いました」(取材は2020年にスタートした活動「SKWAT」で“占拠”している南青山のとある空間にて)
当時の挑戦を振り返り「僕らはビジネスのことを何も考えていなかった」と笑う。
「オープニングイベントは派手にやりました。Chim↑Pomを始め、僕らのコネクションで声をかけられるアーティストさんをできるだけ招き、パフォーマンスや音楽イベントなど、様々なコンテンツを凝縮させました。3日間で数百万円くらい稼いだのですが、後のビジネスは全く考えていなかったので、そのお金で1年くらい暮らしました。おもしろい物や場所をつくりたいという純粋な気持ちでやっていて、それに魅力を感じてくれた人たちが来て友達になるような空間。裏原カルチャーを築いてきた方々に比べると僕らはビジネス感覚が弱く、大儲けはしなかったけれど、文化が生まれる貴重なシーンは多く目撃できたと感じています」
「一時期、VACANTの3階をオフィスとして使い当時の『STUDIO VOICE』のアートディレクターもされていたグラフィックデザイナー・松本弦人さんとシェアしていたのですが、彼はスケールの違う生き方をしている人で、この世のものと思えないほどパンチがあって…。松本さんのまわりには今では大活躍しているアーティストたちがいつもたくさん集まっていて、僕もいろいろな影響を受けました」印象的な思い出はありすぎると語るが、最初に口から出たのはこちらのエピソードであった
VACANTではアーティストによるイベントはもちろん、物々交換を取り入れたフリーマーケット「原宿蚤の市」、日本初のアートブックに特化したフェア「TOKYO ART BOOK FAIR」など時代を先取るイベントが次々と生まれ、ディープなファンを増やし続けた。そんな中で中村氏は、「人が出会い、創作する場所」をつくるためのある“コツ”を学び、それが現在でもあらゆる活動を支える「原点」となっていると語る。
「VACANTを運営する中で僕らがいつも大事にしていたのは、空間もコンテンツも、“作り込みすぎない”こと。完璧じゃない、余白のある状態を常にキープすることが重要と考えています。作り込んで色を出しすぎると、その場所に対する好き嫌いが生まれ、箱自体と距離を置く人が出てしまう。VACANTでは、アート界隈やファッション業界の方から、ゲームやアニメなどオタクカルチャーの方まで、人種も業界も問わず多様な人々が垣根を超えて新たな軸で繋がりながら、真夜中に一緒にお酒を飲んだりしていました。そんなシーンを見ながら、自分がつくりたい“場”は、こういう風景だと確信したんです」
その後、VACANTは様々な実験的リニューアルを重ねながら、2019年12月のクローズまで、「裏原宿」と呼ばれる土地の中心地で、不思議な存在感を放ち続けた。