始まりは南青山の裏道。小さな花屋から
父の仕事の関係で幼い頃から園芸に触れていたニコライ氏は、19歳のときに卒業旅行で訪れた東京に魅せられ、20歳で正式来日。特に「日本でありながら外国の気配も感じる」南青山の雰囲気を気に入り、毎日のように通い始めたという。1996年といえば、表参道・原宿エリアの歩行者天国が廃止され始めた年。惜しむ声が街中で聞かれる時代であったが、ニコライ氏が好んでいたのは表通りでなく"裏道"であった。
「1本入った道にオシャレな店が隠れているのが面白いし素敵だと思って。毎週のように行ってたのは『ラスチカス』。当時一番流行っていた店で、お客さんたちもみんなカッコよくて、あそこに通ってないとオシャレじゃないと思っていました(笑)。あとサンドイッチ屋の『バンブー』もとてもオシャレで、ちょっと高いけど頑張って通っていましたね」
ニコライ氏が通っていたレストラン「ラスチカス」。1986年から青山の裏道に存在し、2008年に大幅リニューアルされた
そんなニコライ氏が自分のフラワーショップをOPENするにあたって選んだ場所は、当然このエリアの裏道。いくらニコライ氏といえど、もちろん最初は小さなお店からのスタートであった。しかし、その南青山三丁目の路地裏で、華麗なるキャリアのきっかけとなる出会いが。
「僕の店の目の前にDKNY(NY発のアパレルブランド)のショールームがあったんです。スタッフさんと毎日話して仲良くなっていたんですが、ふとしたきっかけでDKNYの店舗に花を飾らせてもらえることになって。それが全ての始まりでしたね。『こんな場所で飾ってもらえるなんて』と信じられない気持ちで、とても力が入ってました(笑)。ワクワクして、予算なんて考えず、いいものを作ることに全力を注いで。店の角の小さいテーブルの上だけだった花が、服と服の間に置かれるようになり、ショーウィンドウに飾られるようになり…と、どんどんスケールアップしていくのが本当に嬉しかったですね」
今のニコライ氏には世界中のラグジュアーリブランドから依頼が絶えない
出典:Nicolai Bergmann 公式サイト
その後、他のブランドからも続々とオファーが集まり、現在の活躍っぷりに至る。だが、今でもニコライ氏には近寄りがたい雰囲気など一切なく、優しくてフレンドリー。そんな人間性は、もしかしたら、南青山でのこんな出会いが関係しているのかもしれない。
南青山での思い出を懐かしそうに語るニコライ氏
「当時の僕の店の近くに、老夫婦がビルの1階で営んでいるカフェがありました。コーヒーが美味しいからよく通って、話をしたり、カメラの使い方を教えてもらったりしていたんです。だいぶ後から知りましたが、旦那さんは誰もが知る大企業やブランドのロゴを手掛けている大御所グラフィックデザイナーで、そのビルのオーナーでもありました。お金持ちであることを見せびらかすようなこともなく、裏道でカフェをやっている。それが南青山っぽくて素敵だなと思いました」
デンマークからやってきた若きフラワーアーティストは、南青山の裏道での様々な出会いを養分としながら、その才能と人格を美しく成長させていったようだ。