なぜケヤキだったのか?
同潤会アパートとケヤキ並木
出典:JapaneseClass.jp
そもそも、なぜ並木の樹にケヤキを選んだのか。それは、四季折々で表情を変えるケヤキから無常を教わると共に、変化を恐れることなく発展していきたいという願いによるものだそう。落葉樹であるケヤキは、秋になると葉を落とし、清掃にも人手と出費が掛かる。しかし、それでも今日までケヤキを守り続けているのには、そのような思いが込められているからである。表参道にとって、ケヤキ並木はもはやシンボルであり、その景観を壊さないよう渋谷区は近隣に建設する建物の高さを最高30mに制限する取り組みを行っている。
また、表参道と言って忘れてはならない存在が「同潤会青山アパート」である。1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災の後、政府によって結成された財団法人同潤会の事業の一環として建設された集合住宅で、2003年に老朽化のため解体された。建設当時としては珍しい賃貸形式の住居施設で、その後の集合住宅の先駆け的存在となった。また、造りも日本初の鉄筋コンクリート製で耐震・耐火設計も備わっていたため、1945年(昭和20年)5月25日に起きた東京大空襲の際も、このアパートだけでなく、建物前のケヤキまでもが無事だったと言われている。
1950年代の表参道
しかし、この東京大空襲によって表参道全体は壊滅状態となり、ケヤキ並木も13本を残して全て燃え尽きてしまう。世界大戦終了後、ケヤキは近隣団体によって2年掛かりで植え替えられ、現在の姿を見せている。
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