幻の境界線
キャラクターの面で両極端に位置するふたつの街、表参道と原宿。そのカルチャーの差異については明るくとも、その「境界線」について、私たちはあまり意識したことがない。考えてみれば、この地域はあくまでも、神宮前、南青山、そして北青山という3つの区域で出来ている。表参道も、原宿も、今となっては住所すら見当たらないのだ。それでも私たちは親しみを込めて、このエリアを表参道と原宿に二分する。その境目は、いったい、どこなのであろうか。まず最初に考えられるのは、明治通りである。全4車線、道幅約15メートル。境界として十分な存在感だ。ところがこの説にはすぐに違和感を覚える。なぜなら原宿のシンボルであった原宿セントラルアパート(現在は東急プラザ表参道原宿)や、裏原宿のショップ群等が、明治通りよりも東側に位置しているからだ。
「東急プラザ表参道原宿」の屋上には「おもはらの森」が。表参道と原宿の境界線はどこ?
そこで、こんな仮説は立てられないだろうか。ヒントは、実は地形に隠されていたのだ。表参道は緩やかなV字谷を形成している。最も標高が高いのは、青山通りと表参道の交差点付近で海抜35メートル。そして海抜20メートルの谷底に位置するのは、裏原宿の背骨「キャットストリート」だ。私はこのキャットストリートこそが、境界線であると考えている。その理由は、この道の成り立ちを遡ることで合点がいくだろう。キャットストリートの正式名称は、旧渋谷川遊歩道路。もともとこの通りは川だったのである。1964年の東京五輪のタイミングで、地下化された渋谷川の上につくられた道、それがキャットストリートであった。物理的な境界線は、やがて心理的な境界線へとなっていったに違いない。その証拠のひとつに、キャットストリートを境にして、壁や電信柱に見られるグラフィティの数が激減するのだ。同潤会アパートの住人たちをひとつの起点としながら、ハイカラな街として成長してきた表参道は、今では目に見えなくなった渋谷川を幻の境界線に据え、原宿とは対照的な高級ブランドによるハイ・ファッションカルチャーを形づくっていったのだろう。