1990年代。石川涼が原宿よりも、渋谷を選んだワケ
石川さんが静岡から上京したのは1996年、二十歳のとき。浅草のアパレル企業に入社し、市場調査で毎週渋谷から原宿にかけて歩くようになったという彼は、当時の原宿の印象をこう話す。
「その頃は『BOON』『SMART』『mini』とかストリート雑誌の全盛期で、今の東急プラザのところが駐車場だったんだよね。そこに雑誌のSNAPコーナーに出たいやつらがたむろしてて…『キモ』って思いました。エネルギーは感じたけど、『お前ら何者なの?』『雑誌に出たから何なの?』っていう。今もレアなスニーカー履いて表参道に座ってドヤッてるやつらいるけど、そんな上っ面だけのことやってて『何になりたいの?』って思っちゃうよね」
取材当日、石川氏が着用していたキャップには「No Photos」の文字が
賛否両論を生むがゆえに常にその発言が注目を集めている石川さん。キレのある視点は当時からお持ちだったよう。一方で、原宿に対するポジティブな印象も。
「裏原ブランドをやっている人たちはすごいと思っていました。いい意味で”学生の遊び”の延長みたいなことがブランドになって。買ったりしたことはなかったけど、自分たちでものを作り出してビジネスにして、スターになっていっていて。自分と同じような年代の人もいたし、俺もやるならステージ側に立ちたい、そうじゃなきゃ嫌だと感じていました」
そんな石川さんは、裏原ブームの全盛期、1999年に独立。しかし、「自己満で商品を作る気はなかったので、盛り上がっている市場を狙いたかった」と語る彼は、原宿でなく、渋谷に目をつけた。
「渋谷と原宿の両方を見て、渋谷を選びました。原宿はひとつの時代の終焉を迎えるという気配を感じていて…今入っても四番煎じになって終わるだけだなと。ちょうど時代の変わり目だったんだよね。それこそ雑誌や裏原ブランドの影響もあって、高くて数も少ない『手に入りづらいもの』が良しとされていたけど、インターネットが出てきて、安かろうが大量生産だろうが消費者が本当に欲しいと思うものが売れる時代になってきた。レディースの109の勢いなんて本当にすごかったから。それでもアパレル業界の人たちは『あんなペラペラなのファッションじゃない』みたいに軽視していた。これはチャンスだなと、俺が参入しようと思ったわけ」
こうして生まれたのが、メンズファッションブランド『VANQUISH』。ちなみに、「ギャル男」「お兄系」と言われる男性たちをターゲットにした理由は?
『VANQUISH』は2011年の東京コレクションにも参加。渋谷系ブランドとしては異例のことであった
「渋谷のストリートをいつも見ていて、原宿で流行っていたようなビッグサイズの服より、タイトな服を着ているギャル男の方が圧倒的に多いことに気付いていたんです。彼らが求めている"ブランド力があるけど安い"という服がないことにも。だからそのニーズに合わせてVANQUISHを立ち上げました。最初は109のメンズ館に入る前に、ガラケーのECでスタートしたんですよ。彼らがガラケーで服をバンバン買っていることも知ってたから。ZOZOTOWNも同じ年にオープンしたけど、ファッション業界の人たちは俺たちを見ながら『ガラケーの小さい画面で服が売れるわけない』って言ってた。めちゃめちゃ売れたよね」
藤原ヒロシ氏と石川涼氏。コラボ商品を展開するなど、『VANQUISH』は裏原カルチャーのドンからも認められる存在に
その後は109メンズ館を代表するブランドとなり、渋谷のストリートを席巻。さらには藤原ヒロシ氏からも声が掛かり「fragment design」とのコラボアイテムも誕生するなど、渋谷の枠を超えた広がりも見せた。そして時を経て、石川さんは現在、新たに立ち上げたアパレルブランド「#FR2」の関連店舗を、原宿に絞って出店している。一体なぜ?
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