コンドマニア原宿|伝説的アイコンショップが原宿の一等地にあったワケ:OMOHARA TIPS Vol.9
■メイン画像協力:2003年撮影 ©「東京人」観察学会(日本大学文理学部社会学科後藤範章研究室)
表参道・原宿エリアの文化や歴史にまつわるちょっとしたネタをご紹介する「OMOHARA TIPS」。今回はTIPS Vol.1で歴史を紹介した現・東急プラザ表参道「オモカド」の斜向かい、現・「ハラカド」となっている神宮前交差点の角地に存在したコンドマニア原宿をピックアップ!
1993年の2月にオープンして以来、25年間に渡り原宿のアイコンとして神宮前交差点に君臨したコンドマニア原宿。店名から想像できる通り、コンドームの専門店だ。なぜこんな一等地にコンドーム専門店があるのだろう?当時を知っている人なら、多くの人が疑問に思ったことがあるはずだ。調べてみると、そこには世界のカルチャーと社会問題との深い結びつきがあった。
2016年当時のコンドマニア原宿。画像:FASHIONSNAP
キース・ヘリングとフレディ・マーキュリー。
アートと音楽の各シーンを牽引し、時代の寵児だった2人は、ともにHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染者だった。90年代前半、彼らを始めとして、メディアで取り上げられていたアスリートやアーティスト、ミュージシャンのような著名人がHIVをカミングアウトしたことは世界的に話題となり、性行為における“安全性”について人々が考える大きなきっかけを与えた。
欧米ではすでにHIVを予防する啓蒙活動が行われていたが、当時の日本においてコンドームは単なる避妊具として認識が一般的で、性感染症予防、HIV感染予防を期待して購入する人は少なかった。そんな時流を捉えて生まれたのがコンドマニアだ。
コンドームを模したポップなキャラクターがアイコン。まるでTシャツのグラフィックのようにキャッチーなデザインが目を惹く。画像:FASHIONSNAP
六本木店に続く2号店として1993年にオープンした原宿店は、世界的にも珍しい特異な立地も手伝って開店当初から多くのメディアに取り上げられた。購入時に恥ずかしさを感じる人が多い日本において、いったいどんな思考を経て原宿のど真ん中に開くことにしたのか。
理由は実にシンプルで、HIV予防を啓蒙する目的があったから。
裏道では啓蒙することが難しい。だから人目につきやすい原宿の一等地にオープンしたという。
当時ほぼ薬局でしか買えず、選択肢も限られていたというコンドームだが、FASHIONSNAPによる掲載当時のコンドマニア事業部マネージャーへのインタビュー記事(2016年)に依ると、店内には国内外のユニークなコンドームが300〜400種類も揃い、10代から60代まで、中には子供を連れて利用するお客もいたそうだ。
店内にはコンビニのようにずらりと並べられたコンドーム。グッズなども販売していた。画像:FASHIONSNAP
2018年に、再開発による移転により、惜しまれながらもその歴史に幕を下ろしたコンドマニア原宿。神宮前6丁目を経て、現在は渋谷パルコに店舗を移して営業している。仮に今の原宿にあったら、どんな風景が生まれていただろう。きっと日本の若者をはじめ、当時から人気だったという、海外観光客をさらに虜にするスポットになっていたに違いない。
「恋愛成就」のお守り付きのコンドームなんていう変わり種も。海外観光客に人気があったそうだが、学生にも人気が出そうなプロダクト画像:FASHIONSNAP
そして、原宿の中心地から世界に向けて発信される啓蒙活動の拠点として、今もなお大きな話題とともにユニークで愛のあるメッセージとともに、交差点を往来するたくさんの人々へ向け正しい理解を届けていたはずだ。
+FUN SHOPと看板にあるように、楽しみながらHIV感染予防について知るきっかけを与えていた場所と言える。画像:FASHIONSNAP
HIV予防を啓蒙するために、コンドームとの距離を縮め、新しい価値観をもたらしたコンドマニア原宿。その功績は新しいカルチャーを育む原宿にこそ、語り継がれるべき歴史だろう。
画像:©東京雑写
■出典:
10.性の開放化と能動化 ―「コンドマニア」のメディア性― ©「東京人」観察学会(日本大学文理学部社会学科後藤範章研究室)
FASHIONSNAP「コンドマニアはなぜ原宿の一等地に?実は儲かっているその実態」
Text:Yuya Tsukune
Edit:OMOHARAREAL編集部