
オモハラエリアの顔、その変遷:OMOHARA TIPS Vol.1
■メイン画像協力:「東京おとなガレージ」昭和の残像/昭和55年・原宿
表参道・原宿エリアの文化や歴史にまつわるちょっとしたネタをご紹介する「OMOHARA TIPS」。今回はオモハラエリアの玄関口のひとつ、神宮前交差点を象徴する建物について。その時代ごとに姿を変える、玉座の系譜を辿る。
表参道と明治通りが交わる神宮前交差点。その角地にたたずむ商業施設は時代の最先端を映す鏡のような役割を担ってきた。なかでもミラー張りのエントランスで人と街の風景を切り取る東急プラザ表参道原宿が建つ場所は、オモハラの歴史を語る上で欠かすことのできない、街の“玉座”と言えるだろう。
2012年からその座についた東急プラザ表参道原宿。2023年4月編集部撮影。
チェスで言えば、キングが取られるとゲームは終わり。
この場所に建つ商業施設が生まれ変わることは、オモハラがひとつの時代の区切りを迎え、新しい時代が始まることを意味するのかもしれない。
NYタイムズ紙が「世界一の朝食」と称したbillsのフラッグシップショップ出店とともに、2012年の東急プラザ表参道原宿の開業は大きな話題となった。
そんな東急プラザのオープンから遡ること2年。この場所にはGAPの旗艦店を抱える「ティーズ原宿」が存在した。
1999年にオープンしたティーズ原宿(出典:東京シティガイド ティーズ原宿)
オモハラに「ストリートスナップ」というカルチャーが根付いたのも、ちょうどこの頃。
OMOHARAREAL:INTERVIEW 『STREET』『FRUiTS』創刊者・青木正一より
KAWAIIファッションのルーツとなる「デコラファッション」を世に広めた「FRUiTS」(1996年創刊)や、奈良裕也も表紙を飾った「TUNE」(2004年創刊)が原宿ファッションの最前線を取り上げていた当時。
OMOHARAREAL:INTERVIEW 『STREET』『FRUiTS』創刊者・青木正一より
ティーズ原宿のふもとでは、同誌の創刊者・青木正一に撮影されるための"青木待ち"なる現象も生まれた。全国各地から若者が足を運ぶストリートスナップのメッカは、この街のアイコンであり象徴だったのだ。
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)/Silex on french wikipedia, CC BY-SA 2.0 FR
では、そのさらに前。
1960~80年代の原宿カルチャーの黎明期を牽引した建物といえば、若き日の著名人やクリエイターが青春を謳歌した伝説的な喫茶店「レオン」と、“クリエイターのトキワ荘”と称された上層階———原宿セントラルアパートだ。
画像協力:「東京おとなガレージ」昭和の残像/昭和55年・原宿
もともとは米軍関係者向けの高級賃貸住宅として1958年に完成。代々木公園の敷地にあった米軍家族用住居ワシントンハイツの影響もあり、当時このエリアにはアメリカ人客をターゲットとしたショップが多数並んでいた。
アメリカ製のおもちゃを販売する「KIDDY LAND」は、創業当初から同じ場所で営業を続けている。(左:©株式会社キデイランド 1960年代の原宿店/右:2023年4月・編集部撮影)
セントラルアパートから醸し出される異国の空気は、多くのクリエイターやアーティストを刺激した。なかでもクリエイターのたまり場だった「レオン」が原宿カルチャーにもたらした影響は計り知れない。異国文化の影響を受け、カタカナの職業が浸透したのもこの時期からだ。
セントラルアパート原宿1階にあった喫茶店「レオン」入り口。昭和52(1977)年撮影。Photo:髙橋義雄/PIXTA
DCブランドブームの先駆けとして「BIGI」を立ち上げたばかりの菊池武夫や、アーティストの横尾忠則、イラストレーターの宇野亜喜良、フォトグラファーの繰上和美、コピーライターの糸井重里、ファッションデザイナーの川久保玲、フリースタイリストの高橋靖子(ヤッコさん)、さらにクールスのメンバーだった岩城滉一氏や舘ひろし氏などなど、常連と言われている著名人の名を挙げれば枚挙に暇がない。伝説の喫茶店たる所以としては充分すぎるほどだが、極め付けにジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻も訪れたという。
誰もが夢を語らい、互いにインスピレーションを得て、各々のクリエーションを磨いたこの時代。大川ひとみ氏が立ち上げたファッションブランド「MILK」の人気ぶりも、きっと彼らの夢を後押ししたに違いない。
百人百様のクリエイティビティが渦巻き、エネルギーに満ちていた原宿セントラルアパート。今に息づくオモハラカルチャーの歴史の多くは、ここから始まったといっても過言ではないだろう。
※文中敬称略
Text:Tsukune Yuya
Edit:OMOHARAREAL編集部