この街で働く方々や、この街を好きな方々が前を向けるようなメッセージを、と、お声がけいただきました。強いメッセージ性は生憎持ち合わせておりませんが、この機会に、ここで過ごしている日々を少しだけ振り返ってみようかと思います。
みなさまご存知の通り、特に今年の3月末頃から、ここに限らず人間社会が一時停止せざるを得ない状況となりました。私は職場(表参道ヒルズの店舗と、その裏にある事務所)まで、自宅から歩いて来られる距離に住んでいたので、毎日のように徒歩で通っていました。
その時の、静けさたるや。
日中、原宿駅付近から竹下通りを抜けて行くのに、すれ違う人もほとんどいないような日々でした。月並みですが、こんな日が来るとは思わなかったなぁ、と、そんなことばかり思い浮かべていました。もちろん不安とともに。
6月頃から、ちらほらとショップなんかも開店しはじめて、9月の今は、かなり人が戻ってきているように見受けられます。よかった、と手放しでは喜べない状況が続いていますが……。
表参道・原宿で働き始めたのは、今から約10年前のことでした。たったそれだけの時間、とも言えますが、私にとっては人生の3分の1を過ごしている場所となりますーー人生。30代にはまだ大袈裟な言葉でしょうか。
学生時代には、現在の東急プラザの場所にGAPがあり、同世代の若者たちがそこにたむろしながらストリートスナップを撮られることを望んでいました。いまよりももっと、街も、街ゆく人々もちぐはぐで、賑やかで、言葉では形容できない魅力がありました。少しずつ“整って”いきながらも、やっぱりなんだかちぐはぐな景色が流れていきますーーまだ恋人になっていないような若い男女。男の子の方が別れ際に「よんきゅー!」と叫んでいました。高級メゾンが軒を連ねる通りの前を、わっしょいわっしょいと元気よく神輿が通っていきます。もう何十年も前からある古びた喫茶店に、潑剌としたギャル(死語ですね) が通い詰めています。全身ハイブランドで揃えている男の子が、コンビニの前でフライドチキンを食べていましたーーそう、このアンビバレントな街が好きです。
今回のウイルスを目の当たりにして、自身の心の奥の方へと、深く深く潜っていった方も多かったように思います。それに、突然の緩急に、心身共にバランスを崩してしまった方も少なくはないように思いますーー感じたことに適切な言葉をつけて、あるべき場所へとしまっていく作業。それがうまく出来ないようなことが続いて、苦しんだ(または現在進行形の)方もいらっしゃるかと思います。それでもただただ、生きていくことは続くので、自分のいる場所を大切にしながら、ゆっくりと臨機応変に過ごしていくのが、良いのかな、なんて思ってしまいます(人に向けて、というよりは、自分自身への言葉ですね)。
やっぱり、人が前を向けるようなメッセージ、というのには程遠い文章となってしまいましたが、ゆっくりとまた賑わいを取り戻していくことを期待しつつ、この辺りで。
越智康貴/表参道ヒルズ内のフラワーショップ「DILIGENCE PARLOUR(ディリジェンスパーラー)」オーナー。イベントや店舗の装花、雑誌・広告撮影のスタイリングなどフローリストを本業としながら、雑誌での執筆活動も行なうなど多方面で活躍中。instagram:ochiyasutaka