何かを発表する街
「原宿に初めて来たのは中学生のときです。ワクワクしながら竹下通りに行ったらカツアゲされました(笑)。高校くらいで裏原ブームが来て、NIGO®さんと高橋盾さんが作ったNOWHEREに朝から2時間くらい並んで服を1着買った思い出も。IDEEで働いていた時はTOKYO DESIGNERS BLOCKにも関わっていて、その時は国連大学でPAUL SMITHがショーをしていたり大沢伸一さんがDJしていたり。とても刺激を受けましたし『表参道は何かを発表したとき沢山の人に受け止めてもらえる土壌があるんだな』ということを感じましたね」
インタビューはNUMBER Aの個室にて
多摩美術大学を卒業しインテリアメーカー・IDEEで1年間働いた後、ロンドンへ留学。理由は「ロンドンの音楽カルチャーが好きだったのと、当時『BRUTUS』でロンドンが世界一アツいと特集してたから(笑)」。結果、そこで東京、そして原宿の力を感じたという。
「実際ロンドンに行ってみたらファッションでオシャレだなと目につくのはセントラル・セント・マーチンズ(アート・ファッションの名門大学)の学生くらいなものでしたし、街全体の面白さで考えたら東京の方がレベル高いなと思いました。心に残ったのは川久保玲さんが手掛けるDover Street Market LONDONですね。外観は歴史ある建物をそのまま使ってるからクラシカルなのに、建物の中はそれぞれのブランドのイメージを思い切り打ち出した内装。B1FにはUNDERCOVERのコーナーがあって、服が日本のクリーニング屋でもらえるような針金ハンガーにかかっていたのも印象的でした。ヨーロッパでも存在感を示せていて、裏原ブランドの魅力を改めて感じました」
青山でも存在感を放つ「UNDERCOVER」本店。デザイナーの高橋盾氏は、裏原ブームに火をつけた伝説的ショップ「NOWHERE」をNIGO®氏と共に立ち上げた人物
帰国後はグラフィックデザイン事務所や飲食店などを転々とし、29歳で起業前最後の職場を退職することになったとき「7回くらい転職していて、履歴書的にももうどこも採ってもらえない状態でした(笑)」と、独立の方向へ。
「独立の打ち合わせは(山本)宇一さんがプロデュースしてるLOTUSとかMONTOAKでしていました。以前から常連で宇一さんには仲良くしてもらっていたので『何か企んでるな』くらいは思ってもらってたんじゃないでしょうか。NUMBER Aをオープンした頃、僕は駒沢のBOWERY KITCHEN(山本宇一氏プロデュース)の向かいに住んでいて頻繁に利用させてもらっていたのですが、『俺の店なんか来ないで自分の店いろ』とよく怒られていました(笑)。東京のカフェ文化を作った宇一さんはいつも自分の店を巡回されていて飲食店経営者の鑑です。今でもお会いするとありがたいことに色んなお話しをしてくださいます」
NUMBER A立ち上げの打ち合わせは、山本宇一氏プロデュースのLOTUSで行われることも多かった
このエリアで愛されるカフェをつくるプロデューサー同士の世代を超えた交流も存在するようだ。こうして、志賀さんは昔から魅力を感じていたこの街で、自身の作品であるNUMBER Aを発表した。