恩師・高橋靖子さんとの出会い
そんな中村さんに、「初めての原宿」の思い出を聞いてみた。
「初めて来たのは中学2年生のとき。当時ちょうど『anan』が創刊されて、原宿が注目され始めた頃で、毎週来る度に店がポツポツと増えていました。散歩しながら一軒一軒覗くのが楽しくて、それは新宿にも渋谷にもない魅力でしたね」
その後も原宿に通い続けファッションへの興味を深めていった彼女は、高校生になると、当時『装苑』と人気を二分していたモードファッション誌『服装』に才能を発見(投稿した手紙が評価)され、イラスト付きエッセイの連載を開始。それが、当時原宿で活躍していたスタイリストであり、恩師となる高橋靖子さんと出会うきっかけになった。
原宿で一緒に仕事をする高橋靖子さん(左)と中村のんさん(右)
「15歳年上のヤッコさんも当時『服装』で連載をしていて、大ファンだったんです。だから、私の存在だけでも知ってもらえたら…と編集部で住所を教えてもらって、長い手紙を出しました。手紙には、好きなミュージシャンや好きな服やお店のこと、当時のボーイフレンドとの関係、思いつく限りのことを自分を全開にして書きました。するとヤッコさんから『宇宙の片隅に私と同じことを考えて生きている女の子がいて驚きました』と返事がきて…。17歳の自分が語ったことに、30代の大人の女性が、しかも私が大好きなデヴィッド・ボウイのスタイリストもやった有名なスタイリストさんが共感してくれたことに天にも昇る気持ちになりました」
そんな2人は、同じ宇宙どころか、同じ街・原宿にいた。きっと熱いエネルギーを持つ者たちが自然と集まる街だったのだろう。高校を卒業すると、中村さんは高橋さんの元でアルバイトを始める。
「私は桑沢デザイン研究所に通っていたんですけど、携帯電話もない時代なので、何かあるとヤッコさんが学校に電話をかけてきて、よく校内放送で呼び出されていました(笑)。渋谷から飛んでいくと、原宿で一流のプロの方々から色んなことを教えてもらったり可愛がってもらえる。とても素敵な時間でしたね」
70年代の表参道(撮影:染吾郎)
中村さんが愛する70年代の原宿の、古き良き賑やかなムードがうかがえる。
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