70年代の原宿のムードを伝える理由
アトリエで楽しそうに作業する30代のゴローさんこと高橋吾郎さん(インディアンジュエリーブランド『ゴローズ』創立者)。サングラスをかけて大型バイクにまたがる役者になる前の舘ひろしさん。――彼女が出版した写真集『70'HARAJUKU』には今の僕らが知る原宿とは違う「70年代の原宿」のムードが写っていた。
写真集『70'HARAJUKU』(小学館)。表紙は日本初のフリースタイリスト・高橋靖子さん(左)と、日本で初めてパリコレに起用されたモデル・山口小夜子さん
「私は日本初のスタイリスト・高橋靖子さんにアシスタントとして連れ歩かれて、10代の頃から山本寛斎さん、矢沢永吉さんなど才能あるクリエーターたちがこの街にいる様子を間近で見させてもらってきました。当時は今みたいに経済優先じゃなくて、みんながただやりたいことに挑戦している自由な雰囲気の街でした。小さくてもいいから何かを始めよう、というね。広告代理店の人たちもマーケティングなんて誰もやってなくて。けど、そんな中から大きなブームが次々と生まれていました。みんなが動物的直感で時代を作っていたように思います」
まだラフォーレ原宿もなく、カフェなんて言葉もなく、ブティックも喫茶店も数えられる程度。その分、新しいことに挑戦するエネルギーに満ち溢れた街であった。そんな70年代の原宿を甦らせる写真展をプロデュースし始めたきっかけは、2011年の東日本大震災により、世の中のムードが変わったことだと話す。
「2011年以降、コンプライアンスが一気に厳しくなって、窮屈な気持ちで働いている人が増えたように感じます。クリエイターも『空気を読め』と言われる時代になってしまって。みんなが『昔は良かった…』と諦め気分で。けど、そんなことばっかり言ってても仕方ないよねと思う気持ちと、でも、このまま進んだら本当にどんな時代になってしまうんだろう…という不安の狭間で、ふと自分が青春を過ごした70年代の自由な原宿の風景を、もう一度見たくなったんです」
70年代に様々なジャンルのクリエイターが集まっていた伝説の喫茶店『レオン』店内の写真(撮影:染吾郎)
楽しかった時代のムードに再度触れることで、自分が今の時代に何をすべきか、改めて考えたい。2014年、彼女は"自分が見たい景色"を見るために、時代を共有してきたカメラマンたちに声を掛け、70年代の原宿の風景を集めた写真展を開催することに。そして、そんな彼女の行動に共感する人は予想以上に多かった。
「とても小さなギャラリーで、キュレーターでもない素人の私が開催する写真展でした。でも、菊池武夫さんや丸山敬太さんに声をかけると、2つ返事でトークショーに出演してくださることが決定。開催すると、懐かしがる人はもちろん、その時代の原宿に興味を持つ若い世代の方も多く来てくださいました。当時お会いしたことのなかった藤原ヒロシさんも来場して『感動的な写真展に出会った』とJ-WAVEで紹介してくださったり。最初は継続するつもりもない、ほんの思いつきの試みだったのですが、周囲から後押しをいただけたおかげで、写真集を出版したり、翌年にはさらに大きなスペースで写真展を開催したりと、共感してくださったいろんな人とのご縁によって、原宿の歴史を伝える活動を継続する流れになりました」
2017年4〜5月には東急プラザ表参道原宿にて「OMOHARA展」として中村さんが集めた70年代の原宿の写真が展示された
計算もせず、ただやりたいことをやる。すると共感する人が集まり、だんだんと大きなものになる。これはまさに、70年代の原宿を思い出す体験だと中村さんは語った。
【次のページ】>> 恩師・高橋靖子さんとの出会い