「思わず涙が流れた」悔恨バネに奮起 メンター ヨウジヤマモトの言葉
いよいよヒラオインク発進。立ち上げスタッフは3名、友人の事務所のデスクを1台5万円で間借りするところから始まった。それから半年ほどが経ち、クライアントが増えたタイミングで出会ったのが渋谷区神宮前1丁目11−11。あのグリーンファンタジアビルだった。
「もちろん決め手は住所です。スタッフから『すごい住所がありました』と(笑)。昔の表参道・原宿の賃料は今ほど高くなかったんですよ。スタートアップでも表参道周辺に事務所を構えることができました」
2006年 創業当時 現在もショールーム兼オフィスを構えるヒラオインクの原点的な場所だ 神宮前交差点を望む。
創業は若さもあり文化祭的な感覚。とはいえ悔し涙も流したという。ある日のカフェでの出来事だった。某フランス人の社長に具体的な理由もなく「この企画書はダメだ」と3回も突き返されたのだ。
「思わず涙が流れたんですよ。それを見て、相手もさすがにやりすぎたと思ったんじゃないですか。初めて「企画書はこうやって書くんだよ」と教えてくれました。
2006年創業当時。まだ何もないオフィスに立派な花 創立メンバー3人で和やかに記念撮影している姿に、大人の文化祭的な楽しさを感じる。
これが結果的に奮起するきっかけとなった。泣きながら描いた企画書のおかげで、現在はブランドのヒストリー(歴史)、ストラテジー(戦略)、フィロソフィー(哲学)、ケミストリー(化学反応)、そしてクオリティ(質)とクリエイティビティ(創造性)さえ合えば、どんな会社でもPRできるという境地にまで至る。
これまで見てきたように彼女が新しく踏み出すとき、基本情報は持ち合わせないのが常である。それでも道なき道を切り拓いてきたのは確かだ。そんな歩みに対して彼女のメンターであり、約50年前に初のY's直営店を表参道ベルコモンズに構えたオモハラのレジェンド・山本耀司氏が投げた言葉は深い。
ヒラオインクが手がけたイベントのひとつ。MARNI(マルニ)創立20周年記念イベントとして行われた「MARNI BLOSSOM MARKET(マルニ・ブロッサム・マーケット)」。 MARNIのアーカイブ柄のラッピングペーパーを使いブーケ約2000個を制作し、表参道の国連大学前で開催されているファーマーズマーケットにて来場客に配布。文化学園大学の学生が配布に参加した。(2015年)
「彼から聞いたなかで一番印象的だったのは『始めからデザイナーの人はいない。誰しもがやりながらデザイナーになっていくんだ』という話。要するにタイトルが人を育てていくのだと。思い返せば自分が社長になった時もそうでした。今はスタッフにも『“マネージャー”ならマネージャーとしての仕事をしてください』と伝えています」
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