『Soup Stock Tokyo』に繋がる青山での出会い
そして、当時の青山という街も、60年代の良きアメリカを愛する感性とマッチする場所であった。
「家のすぐ前にアメリカンなスーパー『ユアーズ』は、紙袋をバッグとして持ち歩くほど好きでした。入り口にピンボールマシンがあり、遊園地の入口にあるような鉄製のゲートを通って中に入ると、買い物客がホットドッグをかじりながら歩いている。美味しそうなコーンフレークがたくさん並んでいて、将来はコーンフレーク屋さんになりたいと思いましたね」
牛乳を入れて食べるときの状態を考えると、コーンフレーク屋とスープ屋は限りなく近い。他にも『Soup Stock Tokyo』をオープンする未来へと導く存在に青山通りで出会う。それは、1971年誕生した『ケンタッキー・フライド・チキン』の東京一号店。
「当時鶏を手づかみで食べるような文化は日本になく、異国からやってきた注目の存在でした。遊び好きな大人が集まる場所という印象で、中高時代の私は、フライドチキンを骨までしゃぶり、グレープフルーツシャーベットを食べながら大人ぶっていた記憶が。ファストフードブランドでも丁寧に世界観を作るべきだという感覚は、そこで養われたと思います」
後に、大人になった遠山氏は、三菱商事から自ら希望して日本ケンタッキー・フライド・チキンに出向。そこで提出した企画書が社長に認められ『Soup Stock Tokyo』開店に至る。青山で育まれた哲学・感性を存分に活かした妥協のないコンセプト・味・空間は、多くの人々の心に刺さり、現在は全国70店舗を超える人気店へと成長している。
2016年5月にリニューアルした『Soup Stock Tokyo Echika表参道店』
「"青山で生まれたことが自分の経営者としてのアイデンティティ"などと言うと、たとえば被災した地元を復興させたいという想いで事業を営んでいる方などに比べて軽々しい発言に思え、恥ずかしく感じることもあります。しかし、私にはそれしかないんです。だから私は常に、自分が父から与えられた環境・経験を大事に握りしめて仕事をしています」
遠山氏の父は、彼が11歳のときに飛行機事故で他界。しかし、父が遠山氏に伝えたいと願っていたものを、彼はしっかりと受け取っていた。出品者の顔と想いが見えるセレクトリサイクルショップ『PASS THE BATON』も、時代の輝きを受け継ぐ重要性を知っている遠山氏だからこそ生み出せたものだろう。
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