原宿は「時代を映す鏡」。時代ごとに若者が集まり、新しい文化が生まれたワケ
「日本の若者の風俗・文化を変えたい。その旗頭になりたい」
第1号店を設立した1976年以来、世の中の流行が移り変わっても設楽氏の想いは変わらなかった。人の数だけ暮らしのストーリーがあるように、BEAMSは昔も今も、自分が好きなモノを自由に楽しみたいと思う一人ひとりに向け、時代に合った”新しいライフスタイル”を提供する。
「BEAMSにゴールはありません。いつの時代にあっても、いまあるカルチャーの”WHAT'S NEXT?”を問い続けるスタートだけあればいいと思っています。2022年には2022年の”いまの気分”があり、1980年代には1980年代の、1990年代には1990年代の”時代の気分”がありました。その気分を生みだすのは新しい感性をもった人たちです。原宿について言うなら、原宿のまちの下から湧き上がってくるような新しい文化は、それぞれの時代を生きた若者たちが形づくってきたのは確かでしょう。僕にとって原宿は特別な場所です。時代ごとに面白さが詰まっていて、いつもワクワクできる街です」
70年代後期から80年初頭に一世風靡したロゴスウェット。
新しい何かが生まれるとそれが全国に波及していく街。その歴史を振り返るにつけ、表参道・原宿がもつ潜在的な影響力は小さくない。BEAMSを率いる設楽氏はこれまで原宿で生まれた”まちのムーブメント”をどのように捉え、感じてきたのか。
「振り返ってみると、1980年代はD/Cブランド全盛の時代でした。1978年にラフォーレ原宿がオープンし、いままで見たことのなかったようなデザインを施した服が新鮮で、服で自己主張したいという時代背景に押され、多くのD/Cブランドが誕生しました。その後、いろいろなブランドが小さな路面店を持ちはじめ、原宿にどんどん広がっていきました。1980年代初頭はセレクトショップが台頭しはじめた時期でもあって、雑誌『ポパイ』を愛読するシティボーイや大学生を中心に、ロゴマークを胸にプリントしたスウェットが大ヒットします。カリフォルニアテイストを好む若者はBEAMS、アイビールックに身を包む層はCREW'S(クルーズ)といった風に、店の商品構成によってファンが分かれていました。当時、店の売り上げの半分以上がロゴものになっていたほどです。このままいくとキャラクターショップになってしまう。そんな危機感からロゴものをいち早く撤退しました。この決断があったからこそ、いまのBEAMSがあると思っています」
ブームはいつの日か終わる。そしてまた、新たな流行が育まれる。1970年代から90年代にかけ、流行に敏感な若者がけん引した歩行者天国文化も、原宿発の”新しい文化”を紐解く上で素通りすることはできない。1977年、原宿の表参道側でホコ天が始まると、ロカビリーファッションに身を包んだ「ローラー族」が出現。続いてブームになったのはブティック竹の子の服を着て踊る「竹の子族」。1980年、ホコ天は代々木公園側へと広がっていく。ホコ天は1996年に廃止。ひと頃花開いた”原宿ホコ天”文化は静かに消滅、日本が「失われた10年」へと突入する象徴的な出来事のひとつになった。
渋カジブームの頃の「BEAMS」前にて、渋カジ必須アイテムの紺ブレに身を包むスタッフたち。バシッとお揃いでキマっている。
「1980年代末から90年代初頭の”渋カジ”ブームはBEAMSにとっても忘れることはできません。D/Cブームでデコラティブなアイテムが好まれていた一方で、渋カジスタイルはシンプル&ベーシックなアメカジアイテムでコーディネイトするスタイルです。海外のカリスマデザイナーが発表したわけでもない渋カジは、BEAMSによるアイテム提案も追い風になったと思います。ホコ天で生まれた○○族とは違う渋カジブームは、ファッションムーブメントの潮目が変わる一役を担っていたかもしれません」
1990年代中盤からは裏原ブームが訪れる。原宿の裏通りの一角にひっそりと店を構える、小規模でインディペンデントなブランドがストリートを席巻した。
「裏原ブームは感度の高い人たちの間で着々と盛り上がったムーブメントです。”知る人ぞ知る”から始まって、当時ストリートカルチャーについて尖っていた若者を中心に熱狂を生み、わずか数年で原宿発の大きな渦となり、全国で盛り上がっていきました。『BEAMS? いいけどね。でも、みんな着てるよね』。当時、尖った若者たちからはこんな言葉が聞き漏れてきました。インディペンデントではなくなっていたBEAMSにとって、裏原ムーブメントは向かい風でもあり、追い風でもありました。裏原宿カルチャーはその後もカタチを変えながら続いていくと思われましたが、2000年代の中盤以降になると雲行きが変わっていきます。2000年代に入るとBEAMSは、ファッション分野だけではなく異業種とのコラボをさまざまに実現させていきました」
社長室の棚に並ぶ、さまざまな名品たちがBEAMSのヒストリーを物語る。
ファッションの世界は栄枯盛衰。絶えず移り変わっていくトレンドの中で、その流れに抗うことはムズかしい。さまざまな“時代のいま”をエディットし、“時代を映す鏡”としての役割を果たしてきたBEAMSは、「モノからコトへ。コトから人へ」「セレクトショップからカルチャーショップへ。カルチャーショップから、カルチャーコミュニティへ」と、ファッションビジネスのあり方をアップデートさせ、東京のカルチャーシーン、そのストーリーを牽引し続けてきた。
いま、設楽氏が率いるBEAMSはどんなことを思い、次代に向けた仕掛けを考えているのだろうか。BEAMS社長が見据える「原宿の未来予想図」を話してもらおう。
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