裏原宿ブーム、東京カフェブーム。20年前、24歳で独立開業し、カフェをオープンできたワケ
「今年で20年。非日常だった街がいつの間にか日常になり、気がつけば、原宿村の住人になっていました」
スウェットにジーンズ。キャップをかぶり、足もとはコンバース。聞けば、スニーカーは壊れたら捨てを繰り返し、いま持っているストックは100足。「普遍的なものが好きなので一年中、このスタイルです」。飾り気のない穏やかな語り口で、こんな風に話すのは”行列のできる”ハンバーガー店の先駆け、「THE GREAT BURGER」(神宮前6丁目)のオーナーシェフ、車田篤氏だ。
ハンバーガー界の重鎮。こんな風に評されていることを聞いてみると、「好きなことを好きなようにやってきただけです。重鎮なんて恐れ多いです。」と笑みをこぼす。取材中、バックオフィスで働くスタッフに気さくに話す様子をみるにつけ、みんなのお兄さん、こんな表現がぴったりと当てはまる人のようだ。
現在44歳、車田氏が愛知から上京し、東京に住みはじめたのは1998年、21歳の時。大学を中退し、専門学校に通った。当時のオモハラは”裏原宿” の隆盛期。原宿の裏通りの一角にひっそりと店を構える、小規模でインディペンデントなブランドがストリートを席巻する時代だった。聞けば、車田氏も裏原宿カルチャーが好きで、ストリートファッションの仕掛け人たちのDJや音楽プロデューサーもこなす”型にはまらない生き方”に共感し、憧れていたそうだ。
「好きな街の空気を感じながら、過ごしたい。そんな単純な動機で表参道のカフェでアルバイトを始めました。当時は今のようなカフェ文化がまだほとんどない黎明期でしたね。山本宇一さんが駒沢に『BOWERY KITCHEN』をオープンして話題になりはじめていた頃で、気の利いた空間で気張らずに美味しいものを食べられるっていう新しい飲食カルチャーを、末席で立ち会っているような感覚でした。新しいムーブメントが起こる予感というか、とにかくカフェカルチャーが面白い、と。夜仕事が終わると、夜中まで営業しているカフェに行き、この街で仲良くなった少し年上の個人店オーナーやアパレル関係の人たちと過ごし、毎夜楽しんでいました。出自や年齢は関係なし。さまざまな出会いが交差する場、気兼ねなく夜遊びを楽しめる場所、それがカフェでした。今と違い、表参道や原宿は、夜もすごく活気があって。昔も今も変わらないこのエリアの魅力は、オープンマインドの人や何か新しいことに挑戦したい人が多くいて、自分らしいアイデアと想いを持って行動すると、必ず誰かが見てくれていて反応してくれることですね」
”街という舞台”を通して人と出会い、想いを語り、「小さくてもいい。より自分自身を表現できる場を作りたいと考えるようになりました」と車田氏。時は2002年。表参道のカフェ・ラウンジ『モントーク』(2022年3月末閉店)の営業が始まり、音楽プロデューサー橋本徹氏による『カフェ・アプレミディ』が人気を集め、近隣エリアに『オーガニックカフェ』『ファイヤーキングカフェ』なども開店。東京カフェブームが本格スタートした頃だった。
上京後、カフェ『ease by LIFE』を独立開業する前、オモハラエリアで知り合い、仲良くなった仲間たちとの思い出の1枚。「当時出会った仲間たちとは今でも交流があります」と車田氏(写真一番右)
当時、車田氏は若干24歳。「ちょっとだけ背伸びをした身の丈を考えると、ここしか借りられなかった」ーー地下というハンデを受け入れ、京セラ原宿ビル(神宮前6丁目)の地下街にカフェ『ease by LIFE』をオープン。独立開業に至った。
「最初の2年間は年末年始の休み以外、360連勤。朝10時に店に行き、家に帰るのは夜中の2時過ぎでした。1ヶ月の労働時間は500時間ほどで、店の家賃やスタッフへの給料を払うと、手もとに残るのは数千円。働いても働いても、ずっと貧乏でした。飲食店なのでお腹いっぱい食事できましたが、それはもう毎日、無我夢中でした。でも、楽しかった。僕がまだ若かったこともあってか、当時たまたま同じマンションに住んでいたMILKのデザイナー大川ひとみさんには『なんとかなるから大丈夫』『もっと気楽にやっていいよ』『自分だって失敗ばかりしているから』と、会うたびに励ましていただきました。ひとみさんとのエピソードに限らず、このエリアには若者を持ち上げてくれるカルチャーが脈々と受け継がれ、街全体を下支えしている気がします。今もそう思います。『ease by LIFE』は苦労の甲斐あって、料理やスイーツが美味しいと評判を得ることができ、7年間、運営しました」
京セラ原宿ビル(神宮前6丁目)の地下街にカフェ『ease by LIFE』を2002年にオープン。「最初の2年間は年末年始の休み以外、360連勤。朝10時に店に行き、家に帰るのは深夜でした」と車田氏
当時を振り返り、「同じ街で働く先輩方や仲間と出会い、仕事も遊びも多くの学びを得ました」と、懐かしそうに話す車田氏。時計の針は進み、20代から30代へ。オモハラと歩む”次の挑戦”が始まる。
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