2人の伝説の男。ゴローさん&山ちゃんとの思い出
もちろん、この街での思い出は原宿セントラルアパート内のものだけにとどまらない。高橋氏にこのエリアで心に残っている思い出を聞くと、インディアンジュエリーショップ「ゴローズ」のオーナー・高橋吾郎氏とのエピソードを挙げる。(「ゴローズ」とは、1972年に立ち上げられて以来、江口洋介、木村拓哉、藤原ヒロシ、板野友美など世代を超えて愛され続け、今でも表参道のケヤキ並木に毎日長蛇の列を作るカリスマショップである。)
今も行列の絶えないジュエリーショップ「ゴローズ」を立ち上げた故・高橋吾郎氏
出典:EYESCREAM.jp
「CMの撮影でカウボーイの衣装が必要になり、ゴローさんにレザージャケットを借りたことがありました。彼はアメリカンインディアンに『イエローイーグル』という名前を与えられ日本で初めて正式にインディアンになった方ですが、当時はその儀式が行われる少し前。私が借りたのは、その儀式で着るために汚れないよう大切に保管しているというレザージャケットでした。『これは俺の命と同じ。ヤッコだから貸す』といって渡されたそのジャケットを、私は細心の注意を払って扱っていましたが、撮影中、目を離した一瞬の隙に、モデルがオレンジやグリーンのメイクをべったりとつけてしまいました。大泣きしながらゴローさんのところに返却にいくと『泣くことない。汚れた方が貫禄がつくから、これからどんどん踏んで、もっとかっこよくしていくよ』と、私を気遣って貸すときと反対のことを言ってくれました。きっと他にもいろいろな出来事があり、原宿のみんなが彼の偉大さを理解していると思います。伝説的な存在になる人は、きっとそういう大きなあたたかさを持っているんだろうと学びました」
当時の原宿は、そんな”若かりし伝説の人物”と関わることで人生の経験値を得られる街でもあったのだ。もうひとつの思い出として高橋氏が挙げたのは、ロックンロールショップ「クリームソーダ」のオーナー・山崎眞行氏とのエピソード。(「クリームソーダ」は、70年代後半に1日1億円という驚異的な売り上げを記録し、矢沢永吉、舘ひろしなども店に溜まっていたという伝説のショップである。)
ロックンロールショップ「クリームソーダ」のオーナーであった故・山崎眞行氏は、原宿で夢を見せてくれる人物の筆頭であったという
出典:『DOQROがぼくの夢を見る前に』公式サイト
「ラフォーレが建つ前、あの土地には教会が建っていました。売り出されたことを知った私は、原宿セントラルアパートから眺めていた風景が消えていくのが嫌で、山ちゃんと一緒に教会の中に入り、礼拝用の椅子に座って、『外観はそのままにして、ライブができるレストランにしたら素敵だよね』という話をしました。同世代なのにどんどん成功し夢を見せてくれている山ちゃんならできると思いましたが、とても叶いませんでした。若者の間では卓越した存在でも、巨大な資本が入ってくると負けちゃうという現実もあると知りました。原宿には今も大きい資本はどんどん入ってきていますし、それは仕方ないことだと思いますが、空き地やボロ屋を見つけて若者が何かを始めて、夢を叶えるような文化と共存してほしいです」
ラフォーレ原宿が建つ前まで存在した「東京中央教会」。原宿セントラルアパートからの1枚(写真提供・高橋靖子)
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