夢を熱心に語り合う街
高橋氏が初めて原宿を訪れたのは1960年代半ばのこと。22歳だった彼女が向かったのは、原宿セントラルアパートの中にある広告制作会社であった。一緒に働こうと誘われたものの転職する気はなく、友人を紹介するために訪れたというが、この街の魅力によって人生の予定が変化する。
「当時の原宿は今の500分の1くらいしか店がなくて、緑が圧倒的に多かったです。そんな”都会の田舎”の中で、道路には外国人が乗っている外車が駐まっている。ブルーの絨毯が敷かれた事務所の窓からそんな映画のような景色を見て、直感で思い切って転職を決めてしまいました。この風景の中で働いたら気持ちいいだろうと。きっとあの頃の原宿には、そんな感性や嗅覚を持った人々が集まっていたんだろうと思います」
「原宿セントラルアパート」で働いていた頃の高橋靖子さん (写真提供・高橋靖子)
「原宿セントラルアパート」とは、現在「東急プラザ表参道原宿」が建つ土地にかつて存在したアパート。クリエイターの間では60年代から70年代のカルチャーを象徴する建物として今も語り継がれており、当時はこの街を代表する建物であった。
「業界関係者の打ち合わせに多用されていた『レオン』というカフェがあって、その店は常に夢を語る人々で溢れていました。横尾忠則さんや宇野亜喜良さん、伊丹十三さんなども。そんな中でも大きな声でしゃべって目立っていたのは、私の1歳年上でまだ若かったコピーライターの糸井重里さん。カメラマンの鋤田正義さんから『彼は将来すごくなるよ』と言われていました。入居している人はもちろん、打ち合わせに来る人たちも、カフェでお茶しながら知り合いになれて、今考えると恵まれた環境でしたね。みな『何かわからないけど素敵なことをしたい』という感じで、年齢や立場を超えた、他にはないノリの交流がありました」
そんな場所で「時代の波をかぶった」と語る高橋氏は、コピーライターとして制作現場で服や小物を集める中で、気付けば日本初のフリースタイリストに。
「のちにNYやロンドンへ行き、デヴィッド・ボウイやT・レックスなど様々な有名なアーティストの方たちと会いましたが、そんな方たちに直感的に距離を縮められたのも、原宿セントラルアパート内の”ノリ”が通用したからだと思います。あと、私が可愛かったということも大きいでしょうね(笑)」
高橋氏が仕事をしたアーティストの中には、デヴィッド・ボウイ氏も。来年には東京で大回顧展も行われる
出典:『DAVID BOWIE is』公式サイト
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