表参道にハイブランドが一斉進出した理由は?
ここで、学生時代からオモハラの女性ファッションを観察し続けてきた軍地氏に、街の変化を振り返ってもらうことに。
「バブルの前までの原宿は、ラフォーレがありながらも、原宿セントラルアパートに広告業界の人が集まったりしていたし、林真理子さんの『ルンルンを買っておうちに帰ろう』の舞台でもありましたし、あくまで”業界の大人”が集まる社交場というイメージの街でした。本格的に若い女の子の街になったのは、80年代後半〜90年代前半のバブル期、女子大生ブームになった頃に、青学の女子大生なんかが原宿で遊び始めてからという印象です。モードなDCブランド派かお嬢様風のニュートラ派かに分かれていましたね。大学生がルイ・ヴィトンなどブランドバッグを持ち始めたのはこの頃からでしたが、90年代後半に浜崎あゆみさんが『ViVi』の表紙でプラダのコートを着てブランドブームはさらに加速。でも当時、ヴィトンもプラダも、表参道にはなかったんですよ」
90年代後半にデビューし「白ギャル」ブームを作った浜崎あゆみは、ブランドブームも作っていた
出典:Spotlight
2000年頃までは、海外のラグジュアリーブランドショップは表参道にはなく、銀座に集まっていた。しかし、2002年に「ルイ・ヴィトン表参道」誕生を皮切りに、ラグジュアリーブランドが軒並みオープン。一体なぜ?
「世界的に、ラグジュアリーブランドがハイソサエティな街からユースカルチャーが盛り上がっている街に店舗展開するという流れが生まれていました。NYの五番街だけでなく、SOHOにもショップをオープンするというようなイメージです。日本ではそれが表参道だったのでしょう。でも、ラグジュアリーブランドからファストファッションブランド、古着屋までもが一同に会する街は世界的に見ても特別。そして、日本の女の子たちは、それらをうまくミックスして、私たちが想像もつかないような新しいスタイルを生み出し続けています。ブラックボックスのように何が出てくるかわからない表参道・原宿はいつも魅力的ですね」
2002年に「ルイ・ヴィトン表参道」が誕生するまで、この街に海外のラグジュアリーブランドは皆無であった