『ロータス』&『モントーク』成功の秘密
「『原宿セントラルアパート』もなくなり、当時の表参道近辺には人が集まるような"スター"といえる店が存在せず、寂しい状況でした。なら、この街で育った自分が作ろうと」
しかし、出店場所は、当時決して賑わってはいなかった原二本通り(通称:まい泉通り)。しかも、外から覗いても1Fに席は見えず、何の店だか判別不能。
オープン当時(2000年)の『ロータス』。現在は外から見える位置にも客席は存在する
「何もない路地裏に、一見カフェかどうかも分からない”入りづらい店”を作り、知り合いだけを呼ぶ。スタッフには来店したお客さんへ『いらっしゃいませ』でなく『こんにちは』と挨拶させるなど、距離の近いコミュニケーションをとらせる。そういう形でスタートしました。すると、店中の客たちが繋がっているようなアットホームな空間になり、知り合いが知り合いを呼ぶ。結果的に『あ、雑誌で見たことあるな』という有名な人がどんどん集まる場所になりました。裏原宿のストリートファッションブランドも同様でしたが、当時の表参道・原宿では、知り合いが集まる場所にカリスマ性が宿っていくというような文化がありました」
若いときからこの街を観察しているからこその出店場所、空間デザイン。『ロータス』は見事このエリアのスターとなる。敏腕プロデューサーとして名を広めた山本氏は、翌年『モントーク』を出店。次の出店場所は、『ロータス』とは逆に人通りの多い表参道沿い。それも日本初のオープンカフェとして1970年代に人気を博した『カフェ・ド・ロペ』の跡地ということで、集客に対するプレッシャーを強く感じそうであるが。
「最初から人気が出すぎないよう、『ロータス』以上に敷居の高いカフェとなるよう意識しました」
完成した3階建のカフェは、全面ガラス張りながら深いブロンズのスモークがかかっており、中の様子はほぼ見えない。それどころか、看板すらなし。
深夜の『モントーク』。このエリアでAM3:00まで営業しているカフェはかなり珍しい
「表参道・原宿エリアには、トレンドが集まる分、一時的に話題になったあとに飽きられ、消費されてしまうショップも多い。人通りの多い立地に出店する場合は、密かな人気が長続きするような店にしなければならないと考えました。店内は4層にして、一度訪れただけでは店のことを分かった気持ちになれない構造に。でもこれはすべて、本当は末長く何度も来てほしいと思っているからこそ。要は、ツンデレな店を作りました(笑)」
こちらも狙い通り、知る人ぞ知る隠れ家感がファンを作り、だんだんとメジャーになりながらも"通なカフェ"という立ち位置を今なおキープしたまま愛され続けている。山本氏が『ロータス』『モントーク』と立て続けにこのエリアを代表するカフェを作ると、後を追うようにオモハラにはカフェが続々と誕生。今ではすっかり「カフェの街」に。
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