初めて原宿で心臓を鳴らした瞬間
初めてオモハラエリアを訪れ「自分、浮いてないかな……」と不安になり、緊張して汗をかく。いま、涼しい顔をしてオモハラを歩いている人だって、たいていはこんな思い出を持っているもの。しかし、生粋の都会育ちである山本氏は違う。
「カメラマンだった父親に連れられて、物心ついた頃からこの街には出入りしていましたね。アメリカの香りがする街、という記憶です。当時は代々木公園に米軍ハウスがあって外国人だらけ。ラフォーレ原宿はまだなくて、代わりに大きな教会が建っていましたから。アメリカかぶれだった父はよく、アメ車に乗って輸入商品が揃うスーパー『ユアーズ』に買い物に行っていて。ついていった僕は『KIDDY LAND』(日本で初めてバービー人形を販売したオモチャ屋!)で外国製のオモチャを買ってもらっていました」
現在『ラフォーレ原宿』がある位置に存在した『セブンスデー・アドベンチスト東京中央教会』
セブンスデーアドベンチスト東京中央教会。高橋靖子氏INTERVIEW記事より
小さな頃から原宿に慣れ親しみ、この街をホームだと思いながら過ごしていたというませた少年。しかし、中学生になり、(きっとすごくお洒落な)自転車で原宿に遊びにいくようになると、体に汗を滲ませる経験をする。
「鮮明に覚えているのは『原宿セントラルアパート』の地下街に初めて訪れたときのこと。お昼にラーメンを食べようと屋台に座ると、向かいの一室で、当時はまだ珍しかったエアロビクスに励む女性たちが目に飛び込んできました。アメリカのドラマでしか見たことのないハイレグのレオタードを着ていて……激しく踊っている彼女たちを間近で眺めながらラーメンをすすり『ドキドキする街だな』と改めて感心したんです(笑)」
現在『東急プラザ表参道原宿』がある位置に存在した『原宿セントラルアパート』
出典:「東京おとなガレージ」昭和の残像/昭和55年・原宿 より
『原宿セントラルアパート』は、現『東急プラザ表参道原宿』がある位置に存在し、1960~80年代に原宿カルチャーの発信地となっていたビル。上層階にはコピーライターの糸井重里、イラストレーターの宇野亜喜良、カメラマンの繰上和美をはじめとする多くの文化人が事務所を構え"クリエイターのトキワ荘"とも呼ばれていた一方、下層階には国内外から多種多様な店舗が入居しており、とにかく若者の憧れのスポットであった。10代前半にしてそんな場所に通い始めた早熟な中学生は、大人になると飲食店のプロデュースを開始。2000年、『ロータス』を出店する。