『STUDIO VOICE』『BRUTUS』雑誌デザイン界の父・藤本やすしが明かす、原宿セントラルアパートの伝説、同潤会青山アパートの秘話
“若手アーティストの登竜門”! ギャラリー「ROCKET」誕生秘話
日本初の“マガジンデザイナー”として様々な人気カルチャー誌のアートディレクションを手掛け、業界内で確固たる地位を築いた藤本氏。1996年に、現在もアートファンから熱く支持されているギャラリー「ROCKET」をオープンした。場所は、現表参道ヒルズの土地に存在した、日本初の鉄筋コンクリート造アパート「同潤会青山アパート」の一室。当時の街のシンボルとして愛される場所に、マガジンデザイナーである彼がギャラリーをつくった理由とは?
「雑誌のデザイナーとして知名度が出てきて、僕に作品を見せにくるクリエイターが増えてきたんです。イラストレーターやフォトグラファーとかね。それで、雑誌以外にも彼らの発信の拠点を作りたいという想いが湧いてきた。一方、僕も僕で雑誌の仕事をしながら『デザイナーではどんなに頑張っても編集長になれない』ということに不満を感じていたりもして。そこで、自分が選んだ好きなクリエイターの作品を、ページをめくるように毎週紹介する“雑誌のようなギャラリー”を作り、自分が編集長になりたいと考えたんです」
書籍『ROCKET』に記録されている同潤会青山アパート。1階左端が当時の初代ROCKET。佐藤可士和氏、蜷川実花氏など様々なクリエーター&アーティストが展示を行い、現在は「若手アーティストの登竜門」とも呼ばれている
藤本氏によって多くの才能ある若手クリエイターが発掘されていく名ギャラリー「ROCKET」はこうして誕生したが、その裏には、ある人物のサポートも存在していた。
「同潤会にギャラリーを出したいという願いを叶えてくれたのは、ラフォーレ原宿の佐藤勝久館長(当時)でした。いずれ同潤会は取り壊され、森ビルによって新しい建物に生まれ変わることが決まっていたのですが、ラスト数年間、空き部屋を安い賃料で貸してくれることになったんです。当時表参道のシンボルであった同潤会の一室なんて、高くて普通には借りられませんからね。僕以外にも、同じような形で空き部屋を借りて運営しているギャラリーがありましたね。他にもたくさん佐藤さんは街を面白くする仕掛けを実施していて、表参道・原宿が『ファッションカルチャーの街』になったのは彼の功績が大きいと思っています」
不定期発行している『magazine ROCKET』。写真家・奥山由之氏が撮影しフードエッセイスト・平野紗季子氏がテキストを執筆した号も。「最近結婚した奥山くんと平野さんも、昔からよくROCKETに通ってくれていたんです。今ではふたりともすっかり大物ですね」
ROCKETが多くのファンを抱える存在に成長する中、2003年、同潤会青山アパートは解体。移転を余儀なくされる。そして2006年、同潤会青山アパート跡地に表参道ヒルズが誕生。当時の想いを、藤本氏はこう振り返る。
「同潤会が解体されるときに僕らが出ていくことは最初に決まっていたので、それは仕方ないことでした。多くの人が感じたように、街の象徴的な景観が失われるのは残念だとも思ったけど、近未来的な風景に変わる期待感もあったから、僕としては楽しみな気持ちも大きかったですね。実際完成してみて、安藤忠雄さんの建築はすごかった。入ったら底が深くて『潜水艦のようだ』と思ったのを覚えています。できてから後に表参道ヒルズの仕事もしてるし、愛着もある。一時期は部屋を借りて住んでたから(笑)。意外と知られていないけど、表参道ヒルズって4階から上は住居になってて、クリエイターもたくさん入居しているんですよ」
「そのときは『風とロック』の箭内道彦さん、編集者の後藤繁雄さんなども借りていました。入れ替わりが結構あるし、ほとんど交流はしたことありませんでしたが」
“マガジンデザイナー”、そして“ギャラリーの編集長”。藤本氏に新たな道を切り開くきっかけを与えた街だからこそ、彼はその街自体の変化に対してもポジティブであったのかもしれない。では、街の現在、また未来については、どのように眺めているのだろうか。