『STUDIO VOICE』『BRUTUS』雑誌デザイン界の父・藤本やすしが明かす、原宿セントラルアパートの伝説、同潤会青山アパートの秘話
伝説のビル「原宿セントラルアパート」で目撃したコピーライター・糸井重里の衝撃
名古屋で生まれた藤本氏が初めて原宿に訪れたのは、大学受験のために上京した10代の終わり頃。まだこの街にラフォーレ原宿もない、1960年代後半のこと。
インタビューは南青山の路地裏に構えるCAPのオフィスにて。自身でアートディレクションを手掛ける『BRUTUS』のバックナンバーがズラリ。1980年5月の創刊号から全て揃う貴重な空間
「東京生まれの友達に車で連れてきてもらって、窓越しに眺めながら街を一周したんです。『ここが今最先端の街だよ』って言われたんだけど、正直ピンと来なかった。普通のアパートが連なった住宅街で、たまにカフェが点在してるという感じだったから。最先端って言われて近代的な建物が連なっている景色を想像してたからね。その後も何度も原宿に来たけど、僕が訪ねるのはお風呂のないアパートに住むような友達の家ばかりだった。今考えるとあのあたりがその後『裏原』になっていったんだと思うけど。当時盛り上がっていた原宿セントラルアパートを知ったのはもう少し後でしたね」
原宿セントラルアパート1Fに存在した伝説の喫茶店『レオン』店内(撮影:染吾郎) 中村のん氏INTERVIEW記事より
原宿セントラルアパートとは、“クリエイターのトキワ荘”とも呼ばれ、写真家・繰上和美氏、イラストレーター・宇野亜喜良氏など、レジェンドクリエイターを多数輩出した現在も語り継がれる伝説的アパート。
「僕が原宿セントラルアパートに出入りするようになったのは出版社を退職してデザイナーとして独立した80年代。仲のいい友達がオフィスを持っていたからたまに訪れていたけど、すごい雰囲気でした。スタークリエイターが集まるカフェ『レオン』なんかは、怖くて一度も入れませんでしたね(笑)」
そう語る藤本氏だが、当時セントラルアパート内で目撃した“ある光景”が、彼に大きな影響を与える。
それまでは新宿のカルチャー界隈で活動していた藤本氏「ゴールデン街とか、新宿は新宿でバイオレンスの怖さがあったけどね(笑)」
「友人のオフィスと同じ階に、コピーライター・糸井重里さんのオフィスがあって。バレンタインのときにたまたま通りかかってふとドアの前を見たら、プレゼントの箱が山のように積んでありました。ロックスターみたいですごいな、僕も糸井さんみたいになりたいと思った(笑)。今では当たり前になっている『コピーライター』という肩書きを最初に使ったのが糸井さんだったんだけど、彼を真似して僕も自己プロデュースということを強く意識するようになりました。当時は雑誌のデザインをする人って『レイアウター』と呼ばれてて職人仕事をする地味な存在だと思われていたのですが、僕は『マガジンデザイナー』と名乗り始めた。そんな言葉はなかったし気取ってるみたいで本当はすごく恥ずかしかったけど、結果的に僕もそこそこ知られる存在になれましたね。髭を生やしたり丸い眼鏡をかけたり帽子をかぶったり、他にもいろいろしたんですけど(笑)」
「表参道で働くなんて夢のような話だと思っていた」と話す藤本氏は、90年代に表参道にオフィスを移転し、その後この街から離れることなく現在に至る。