『FRUiTS』で活躍した原宿の個性派スターたちに対する想い
インタビューを行ったのは原宿に構える青木氏のオフィス。壁には『TUNE』で撮影した歴代のスナップ写真がズラリ。当時の原宿では『FRUiTS』や『TUNE』に載りたい若者が路上で彼を待つ「青木待ち」と呼ばれる光景も見られた
1996年に『FRUiTS』を創刊。青木氏は当時の思い出をこう振り返る。
「『FRUiTS』ができた頃は、ブームの移り変わりのスピードはかなり速かったね。それを誰が始めたのかっていうのも僕は常に分かっていた。(当時はオシャレとされていなかった)古着を取り入れ始めた人、学校のジャージを着てアクセサリーを合わせ始めた人。ネットもなかったし、数人がダントツに目立っていて、その子たちがストリートのブームを作っている感じだった」
それから20年以上にわたりスナップを通して原宿を眺め続けている青木氏。彼は、こんな視点で、原宿が「ファッションの街」であることを感じるという。
「DCブームのときも、裏原ブームのときも、街がそれ一色になる。女性も『mini』が流行ればシンプルファッション一色に、最近だとファストファッション一色に。そして、ブームが終焉を迎える頃に、年代を越えてみんなが『これからの原宿ってどうなっちゃうんだろう』と心配し始める。地域の経済や景観を心配する街はあっても、地域のファッションを心配する街って他にないですよね(笑)」
『TUNE』は裏原ブームが落ち着きをみせ、裏原一色だったメンズファッションシーンに新たな風が吹き始めたタイミングで創刊
彼がスナップを通して関わった中には、奈良裕也、シトウレイ、清川あさみ、きゃりーぱみゅぱみゅ…など今では世界で活躍する個性派スターたちも多数。彼らに対する記憶や想いを聞いてみると。
オフィスに飾られた写真の中に、若かりし頃のカリスマスタイリスト・奈良裕也氏の姿も発見
「基本的には、僕はあくまで観測をしていたいので、被写体とあえて距離をとっています。自分がブームを作るようなことはしたくないし、影響も与えたくないんです。だから撮影以外で深く話したりすることもなかったんだけど…やっぱり親心もありますし、印象に残っている子たちもいます。たとえば…清川あさみちゃんは自分のクリエイションやこだわりが強くて。プラダの靴を履いたりして”『FRUiTS』にも染まらない”みたいな姿勢を感じる人でしたね。きゃりーちゃんは、シンプルファッションブームにそれを壊すように登場してきたので、救世主のように感じたのを覚えています。みな当時と変わらず自分の個性を活かして活躍していて、素晴らしいと思います」
自身が持つ"ストリートスナップの流儀"を貫きながら、暖かく街を観測し続けてきた青木氏。そんな彼は今、この街で新たな動きを見せ始めている。
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