『STREET』で蒔いた種が育ち『FRUiTS』が実った?
「ネアンデルタール人にも”ファッション”は存在したはず…そう考えたとき、服を着るという行為は、僕らが思っている以上に人間のルーツに直結する深い研究テーマなのではないか。80年代、パリを歩く人々の自由なファッションを眺めながら浮かんだそんな仮説が、デザイナーから発信されるコレクションでなく、ストリートのファッションを記録したいと思ったきっかけですね。ファッションは一種の言語。着用している人の脳や心をそのまま表現するもの。そして、その表現によって見る人の心を瞬間的に動かす力を持つ一種の魔術でもあります」
世界の都市のストリートスナップを掲載する雑誌『STREET』は現在も国内外のファッションファンから人気
アカデミックな哲学的ファッション論を展開する青木氏だが、20代半ばまでの職業はプログラマー。自身の年齢について「スティーブ・ジョブズと同い年」と笑いながら話す彼は、まだAppleなき1970年代、時代を先取るように京都にてプログラミング界の第一線で活躍していた。(初めて原宿に訪れたのはその頃。まだラフォーレもなく、"ファッションの街"にもなっていない地へ観光にきた青木氏は「外国っぽい自由な街」と感じたとのこと。)その後、新たなステージを探してヨーロッパを放浪するなど約5年を過ごし、先述のような発想に至る。
「帰国した当時の日本はまだDCブランドが東京の一部の人にだけ注目されているような時期で、普通の人たちのファッション的な自由度はかなり低かった。そこで、日本に世界の都市のストリートスナップを紹介する雑誌『STREET』を創りました」
立ち上げは京都にて行ったが、創刊号から予想以上に売れたことで、すぐに東京へ。事務所は原宿。「"ファッションの街"という意味で原宿以外は考えられなかった」と話すが、一方で、その時期に彼が原宿のストリートでスナップを行うことはなかった。一体なぜ?
「DCブーム全盛で、原宿にいる人たちはみんなギャルソンやヨージを着ていました。それしか選択肢が考えられないくらい東京では圧倒的な存在でした。かっこいいと思ってたし、僕自身も着ていたんですけど、それを撮ろうとは思わなかったですね。みんな同じだから。撮ってもそればかりになっちゃって、スナップ雑誌としては面白くないだろうなと」
「ちなみに、あの頃のギャルソンやヨージは人気が増すごとにどんどん値段が上がっていってたんですよ。ギャルソンのパンツが5万円を超えたときに、僕は買うのをやめました(笑)」
そして、『STREET』誕生から11年。ついに東京のストリートスナップを紹介する雑誌『FRUiTS』が誕生する。創刊を決めた理由は?
1996年に創刊された『FRUiTS』。モード界の文脈を無視した原宿独自のファッションは世界中のファッションシーンにも大きな影響を与えた。KAWAIIファッションのルーツ「デコラファッション」を世の中に広めた雑誌でもある
「DCブームもだんだんと下火になり、『次は何を着ればいいの?』というムードが街に漂っている中、原宿で一気に注目され始めたのがヴィヴィアン・ウエストウッドやクリストファー・ネメスなどのロンドンファッション。DCブランドとは異なる、型破りな組み合わせのファッションが街に急増しました。そこで『STREET』でも初めての東京スナップをやってみて『これは1冊原宿でもいけそうだな』ということで、『FRUiTS』を創刊。『STREET』で東京に蒔いたファッションの種が育って"実"をつけた…そんな想いで『FRUiTS』って名前にしたんだけど、これは僕の勝手な想定(笑)」
今も原宿に根付く「ストリートスナップ」というカルチャーの始まりのエピソードである。
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