原宿の文化は地方出身者がつくった?
「CA4LA」1号店はしばらくすると、”待ち合わせ場所の定番スポット”とされるほど、オモハラに受け入れられ、認知度を上げた。一体なぜ? その理由を紐解くためには、まず、吉澤氏の考える”帽子の魅力”について知る必要がある。
「帽子の最大の魅力は、規定の自分を壊してくれることです。最初は少し恥ずかしくても、1週間かぶり続けることで似合いはじめ、過去とは少し違う自分になれる。当時でいえば石原裕次郎さんのような別世界の人間に一歩近づける。例えばうちの帽子をよくかぶってくれているクレイジーケンバンドの横山剣さんも、帽子が生んだ最高のキャラクターだと思っています。もちろん彼の歌は非常に素晴らしいですが、帽子を被ることでさらにかっこ良さが際立ち、存在感が増していますよね」
「CA4LA」のハット愛用者であるクレイジーケンバンド・横山剣氏とは、雑誌で対談を行うこともあるほどの仲
出典:CA4LA公式ブログ
当時、ほとんどの帽子屋が黒、グレー、ベージュなどの無難なカラーのアイテムを売る中、「CA4LA」は、輸入品の他に12色のハットをオリジナルで製作して販売した。どこの帽子屋よりも”規定の自分を壊してくれる”存在であった「CA4LA」は、ある層に深く刺さったという。それは、地方出身の若者たち。
「私は、原宿の文化は、東京生まれの若者でなく、東京に憧れた地方出身の若者たちが作ったと思っています。上京して”脱地方”を図ることで、冒険的なファッションに挑戦する。髪をモヒカンにする人も多かったですが、もう少しセンスのいい人は、うちの帽子をかぶってくれた(笑)。裏原カルチャーに関しても、あそこまで大きなブームにしたのは地方から来た若者たちの力だったと考えています」
明治通り沿いにあった「CA4LA」1号店は、若者の待ち合わせスポットとしても知られていた
出典:渋谷原宿物語
”自分を変えたい”というエネルギーを持った地方の若者が集まって文化を作り、その文化がまた日本中の若者を呼ぶ。そんなサイクルが当時のオモハラにはあった。しかし、そんな時代も、10年ほど前に終わりを迎える。
「インターネットの普及によって、ファッション文化的な”地方”という存在がなくなってしまいました。誰もが同じ情報、同じ風景を見て、同じ商品を買える。地域差が生んでいたエネルギーが、日本から消えてしまったんですね。うちの販売員には以前、クレジットカードを限度額まで使って洋服を買い、カード地獄に陥る者がたくさんいました。良いか悪いかは別として、クレイジーなエネルギーを持つ人々が多く働いていた頃が懐かしいです」
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