「石でも話しかけると会話できるものね」山口小夜子さんとの思い出
上京して間もない頃、恵比寿に住んでいた時代には、六本木を徒歩で往復して六本木のドキュメンタリー写真を撮るなど、作品は住む場所によって変わっていきました。
最初に原宿の神宮前コーポラスに住んだ頃は、年齢で言えば28歳から34歳くらいでした。音楽の仕事からファッションの仕事に変わり、仕事が順調になった時期です。
友人が撮ってくれたというプロモーションビデオから街角が写っているカットを抜き出したもの。小林さんの後ろに映っているのは神宮前6丁目の京セラビル(1990年代)。
サブカルチャー雑誌の撮影や写真集の撮影は、ほとんど原宿で行っていました。裏原なんて言葉もできた頃です。当時の雑誌スタッフ、モデル、芸能人、スタイリスト、ヘアメイクで、原宿や渋谷のコネクションを作っていました。とはいえ、海外にもよく行っていた私は、原宿に帰ると、どこかで仲間が集まるパーティをやってるこの街が好きでした。
渋谷のセンター街近く、東急ハンズの入り口前にあった「IN NATURAL」の編集部も、入稿が終わると業界仲間が集まるパーティを開催していて、当時の仲間たちは今の原宿カルチャーを支える重鎮になっていたります。
原宿と渋谷は、雑誌文化を中心に、裏原、渋カジ、インディーズという文化を生み出していました。注目される様な人間はほとんど原宿に集まっていたのです。それをおもしろいと思う海外のアーティストたちも、原宿や渋谷を訪れる時代が始まりました。
私は、1996〜97年 写真集「トーキョーポートフォリオ」や「TOKYO MODELS」を刊行しました。モデルたちの尖った日常を記録した写真集でした。
俳優の鈴木一真さん、りょうさん、モデルのアンジェラレイノルズさん、今も活躍する人たちがいて、才能の巣窟に住んでいるような感覚でした。

小林さんと一緒に写っているのは東京とニューヨークで活躍したモデル、深澤エリサさん。当時小林さんの事務所と同ブロックに「スタジオ23」という白ホリのスタジオがあったそう。徒歩で移動中ムービースタッフが収めたワンシーン。(1990年代)
原宿は、自分が自分であること、自分の生きる意識を覚醒させてくれた街だったと思います。埼玉から出てきたカメラ少年を写真家に変えてくれた、カルチャーの都だったのです。そこで、私はひとりの偉大な方に会いました。
「コバヤシさん、山口小夜子さんという人から『コバヤシさんに会いたい』と連絡が来ているけど、繋いでいいかな?」と、「IN NATURAL」の編集長、牛久龍巳さんから電話を受けたのです。
憧れの人と繋がりました。身体に電気が走ったような瞬間でした。かつて憧れ、短い期間でしたが師事した写真家の横須賀功光さんのミューズであった彼女とのコラボレーション、写真集などは憧れであり、近づけることなど人生で起こらないと思っていました。
それから何度となく、山口小夜子さんは神宮前コーポラスにあった事務所に遊びに来てくれました。
たばこを吸わない私に気を遣って、事務所のベランダで撮影した作品が残っています(冒頭と記事末に写真を掲載)。
いつも笑わない印象の小夜子さんは、実は平静でいつも笑顔を絶やさない人でした。気後れする私に、「何でも撮っていいのよ。私はいつも自分のイメージを壊していきたいし、壊してくれる人を探しているのよ」と言ってくれました。
それから原宿で仕事が終わると、事務所に訪ねてくれたりしました。パリの時代、横須賀さんとの撮影、思い出のギイ・ブルダンの撮影など、知りたかった時代のエピソードを話してくださったり、私は代わりに今、原宿で起きている新しいカルチャーについて話し合ったりしました。
ある夜、明治神宮で撮影した夫婦楠木の話題になり、「根っこが繋がっているんですよ」と夫婦楠木を撮り続ける幸せな理由を話すと、「そうね、石でも話しかけると会話できるものね」と、ベランダから出た月を見つめていたり、そんな不思議なやりとりが記憶に残っています。
たくさんのモデル、芸能人、クリエイターが原宿の神宮前コーポラスに集まってきました。才能の坩堝、その中で暮らすのは夢のような時間でした。

























