
【私の表参道】穏田神社 宮司・船田睦子をかたちづくる「フランス」と「ファッション」との出会い 繋がり紡がれる“縁の街”
船田睦子(フナダ ムツコ)
穏田神社 宮司/ライター/植物療法士(フィトテラピスト)1993年、東京都渋谷区生まれ。実家は原宿と渋谷の間にある穏田神社。大学はフランス語フランス文学科を卒業。ファッション系企業、法律事務所を経て、先代の父の死をきっかけに2019年に國學院大學神道学専攻科で1年間学び、2020年4月に穏田神社の宮司に就任。コロナ禍で数々の行事に制限がかかる中、独自の夏祭り、節分などの企画を打ち出し注目され、地域のコミュニティとしての神社運営に尽力。宮司の傍ら、旅系メディアのライターや、植物療法士(フィトテラピー)としてワークショップの開催などにも従事している。
「変わり続けるのに変わらないふるさと・私の原点」
小学校の頃から通い慣れた表参道・原宿の街。「どうしてこんなに多くの人が表参道の歩道の柵に座っているんだろう」と、当時からずっと不思議に思っていました。この柵からの風景が、私にとっての「今」を映し出す心象風景として記憶に刻まれています。
中学3年生の時。ダンス部に所属していた私は、足を怪我してしまい、リハビリがてら裏のキャットストリートを松葉杖を突いて歩いていると、ふと見つけた「Usagi pour toi(ウサギ・プール・トワ)」というお店に吸い寄せられたのです。もともと父がフランス語を学んでいたり、父方の従姉妹がフランス人と結婚していたので、幼い頃からフランスへの憧れがありました。だからなのか、フランスらしいものはなんでも好きになるし、興味が尽きません。
店内は見たこともないフランスのアーティストたちがデザインした洋服や雑貨がセンス良く並び、その洗練された世界観に感動したことを覚えています。その後、「Usagi pour toi」で快気祝いとしてワンピースを買ってもらったのが、のちに私が新卒で入社することになる「アッシュ・ペー・フランス」という会社とファッションとの出会いとなりました。
大学では憧れだったフランス語フランス文学を専攻し、インカレサークルではファッション系のフリーペーパーを作るサークルにも参加。その頃はストリートスナップの全盛期で、「Fashionsnap」や雑誌「FRUiTS」などが原宿に集まるおしゃれな子たちをスナップし、それに掲載されたいとおしゃれをした子たちが原宿に集まるという時代です。
サークルでもスナップをWebやSNSに掲載しており、週末はラフォーレ原宿や表参道のローソン前、ラルフローレン前で先輩と半日ほど張って、おしゃれな子を撮影しました。声をかけるのはとても勇気がいることですが、身につけている洋服のブランドや自分をどう魅せるかがわかっている「自分のためのセンス」を持つ人たちとの関わりは、感性を刺激し、日々を充実させてくれる燃料となりました。
私自身、他の媒体に何度か声をかけてもらってスナップを撮ってもらうことも。その時にも思えば何時間も座っていたのが、この表参道の歩道の柵でした。
就活の時期に今までの人生を振り返ると、多様なカルチャー、ファッション、フランスなどなど、この街で体験したさまざまなことに携わりたいという思いに気がつきます。入社を決めた「アッシュ・ペー・フランス」は、そんな自分の人生と感覚がぴったり合致した会社でした。
フランス語読みのH「アッシュ」、P「ペー」とは「Harajuku Project」の頭文字で、+「フランス」を組み合わせたという社名の由来を知ったとき、この会社に入社したのはやはりご縁だったんだなと思います。
不思議なことにご縁というのはどんどん繋がっていきます。
のちに神社を継ぎ宮司になっても、この会社で働いていたことで当社の氏子の皆さんと話が通じやすかったり、当時の同期たちとそれぞれの分野を活かして一緒に仕事をすることも何度かありました。
私が穏田神社に生まれ、表参道・原宿という街で生まれ育ったことも、フランスが好きになったことも、インカレサークルに入ったことも、「アッシュ・ペー・フランス」に入社したことも、穏田神社の宮司を継いだことも、その後にライターや植物療法士になっていくことも、すべてがつながっています。人生というのは本当に不思議だなと思います。
表参道の歩道に座る人々は移ろい、変化していくけれど、ここに座っている人々の景色は変わらずに今もそのまま。そんな表参道・原宿はいつまでたっても変わり続けるのに変わらない私のふるさとです。
Text & Photo :Mutsuko Funada
プロフィール写真撮影:Chie Ando