
【私の表参道】デビュー前の木村カエラ、歌手として覚悟を示したキラー通り 思い出のピアス
木村カエラ
2004年6月にシングル『Level 42』でメジャーデビューして以降、『リルラリルハ』『Butterfly』『Ring a Ding Dong』などヒット曲を立て続けにリリース2018年に初の絵本『ねむとココロ』、2020年には初のエッセイ本『NIKKI』 を出版。デビュー20周年へ向け幅広いジャンルで活動中。2024年9月25日にEP「F(U)NTASY」を発売し、10月26日(土)には12年ぶり4度目となる日本武道館公演が決まっている。東急プラザ原宿「ハラカド」でれもんらいふ・千原徹也氏とともに20周年記念イベント「KAELAKOKOKARA」を開催(10月27日まで)
キラー通りのJasper
今も所属している「ソニー・ミュージックアーティスツ」の事務所はキラー通りにあった。
私にとって、遊びやファッションは原宿、仕事というと表参道周辺が真っ先に思い浮かぶ。地元綾瀬から千代田線で一本。表参道駅で降りて青山通りを外苑方面に歩いて向かっていたことを思い出すのだ。
事務所の近くにはワタリウム美術館があったので、帰りにミュージアムショップ「On Sundays」に必ず寄り道して、ペンやノートなんかの文具を買ったり、そこにあるアートを観て刺激を受けていた。
電気グルーヴの卓球(石野卓球)さんが作曲・プロデュースの「Jasper」をリリースした2008年のある日、いつものようにワタリウムに寄った。
そのときは宝石を使ったアクセサリーが目に入って、そこで曲名と同じ宝石“ジャスパー”の涙のかたちをしたピアスを見つけて一目惚れ。今でもそのピアスは大切に持っている。
そんな思い出があるキラー通りに初めて行ったのは、まだ事務所に所属していない高校生の頃。声をかけてもらって呼ばれたことがきっかけだった。
「え!?ソニーだ!」
私はずっと歌を歌いたかったから、めちゃくちゃ喜んでウハウハしながら事務所へ行った。
会議室には偉いであろう(実際偉い)おじさまたちが3人いた。その人たちは民生さん(奥田民生)やPUFFYを担当したり、JUDY AND MARYを発掘してきた、本当にすごい人たちだ。
「うわ!」と私が圧倒されていたのも束の間、最初に言われたのは
「カエラさんは水着になれますか?」
だった。
“THE 事務所”だと思った。
「なるわけないじゃないですか!私は歌が歌いたいんです」ってすぐに答えた。
歌を披露することになり、そのままおじさまたちと一緒に近くにあったカラオケへ。JUDY AND MARYの「そばかす」、椎名林檎さんの「月に負け犬」、グウェン・ステファニーのバンド、ノー・ダウトの「Just A Girl」の3曲を歌った。いずれも大好きなアーティストの曲。
その度胸を買ってくれたのか、歌に対する私の本気が伝わったのか。どちらにせよ、そこから「水着になれますか?」とは一度も言われなかった。
おじさまたちからすれば、いわゆる“モデルあがり”の私の覚悟的なものを試していたのかもしれない。
と、今振り返ってみて思う。
それからすぐに所属することはなかったけれど、歌手デビュー前から今までずっと、20数年以上の関係が続いている。
宝石で言うなら、原石だった私が発掘された場所。歌手としての原点はキラー通りにある。そしてこれからも、私が大切にしているジャスパーのピアスのように、ふたつとない魅力を放つ存在でいたい。
今でも大切に持っているという「On Sundays」で購入したジャスパーのピアス。写真を送ってくれた。提供:木村カエラ(ソニー・ミュージックアーティスツ)
Text & Photo:Kaela Kimura
Edit:Tomohisa Mochizuki