【私の原宿】藤井フミヤが通り過ぎてきた、原宿の走馬灯
藤井フミヤ
1983年 チェッカーズのボーカルとしてデビュー。1993年以降、ソロアーティストとして楽曲リリースや全国ツアーなど音楽活動を行う。また、音楽活動と並行して「FUMIYART」を始めとした自身によるアートプロジェクトを展開。2019年より画家としての活動も再開し、全国の美術館で個展を開催している。2021年10月、南青山に「Feb gallery Tokyo」をオープン。今までの芸能・アート活動とは一線を画し、一個人としてアートギャラリーの運営に携わっている。
原宿に見る、カルチャーの走馬灯
原宿/表参道は今では車で通り過ぎる街になってしまったが、20代〜30代の頃には求める刺激的なカルチャーがそこにあった。
80年代の原宿は古着屋やファッション雑貨店が密集したような街だった。唯一ブランド品が置いてあったのはラフォーレ原宿くらいだったと思う。ブランドと言っても海外ハイブランドではなく、国内でメジャーだったジャパンブランド。原宿竹下通りは昔からティーンエイジャーが友達同士で遊びに行くところだが、 あんな街は原宿だけだと思う。
自分の今でも長く付き合っている知人は 80〜90年代の原宿カルチャーの中で出会い、培われた繋がりが多い。 当時の原宿カルチャーのメッカは、神宮前1丁目あたりにあった。ファッション店としては「A Store Robot」だろう。「Vivienne Westwood」などのロンドンファッションを中心に取り扱っていて、 当時は藤原ヒロシ君が店員として働いていた。 音楽なら、ライブハウスとクラブがミックスしたような「ピテカントロプス・エレクトス」だ。Plastics・MUTE BEAT・MAJOR FORCE・MELON・立花ハジメなどのアーチストたちがアンダーグラウンドな新しい東京の音楽を生み出していた。その頃に原宿で遊んでいた世代が「原宿カルチャー」を作り出した。
デザイナー・ショップオーナー・ファトグラファー・モデル・ミュージシャン・DJ・ etc.いろんなジャンルが混ざり合い、それが原宿「サブ」カルチャーになってゆく。
90年代初頭にチェッカーズを解散し藤井フミヤとしてソロ活動を始めた。ソロデビュー曲の「TRUE LOVE」がヒットし多忙な日々。 その頃よく一緒に遊んでいた駆け出しのファッションデザイナーJONIO(高橋盾) に 全てのスタイリングを頼んだ。 CM・テレビ・雑誌取材などで着る服を前夜にミシンで縫って作り、 それを撮影後には店に掛けて販売することもあった。 その数年後に「裏」原宿カルチャーが誕生する。
その立役者、JONIOとNIGO®の最初のショップは今のRalph Lauren表参道の近く、狭い路地を入った3坪くらいの路面店だった。そこを半分に分けた小さな店舗で「UNDERCOVER」 と「A BATHING APE®」 が産声を上げた。いつも店の前には20歳前後の何をやってるかわからないような若い小僧と小娘たちがたむろしていた。 昔からそういう連中の面倒を見ていたビックママとも言える存在がMILKのデザイナー、ひとみさん。
ひとみさんのマンションに遊びに行くといつも原宿キッズたちがいて、漫画読んだりTVゲームやったりCDを聴いたりハンバーガーを食べたりしていた。 なんとも不思議で健全な溜まり場ハウスで「なんだコイツらは!?」って感じだった。 だが、その連中が後に新たな原宿カルチャーを作ってゆくのだ。
JONIOとNIGO®はやがて店舗を神宮前1丁目の方へ移動した。当時の彼らの仲間たちもその波に乗って次から次にブランドを立ち上げ、 そのあたりから裏原宿(ウラハラ)と呼ばれ、また新しいカルチャーが育っていく。
その後「UNDERCOVER」と「A BATHING APE®」は原宿に留まらず青山に進出した。「COMME des GARCONS」青山店の裏通りに大型のオンリーショップを出店。 原宿で誕生したファッションブランドが世界進出を果たしていく。
今やJONIOもNIGO®も日本を代表する世界的なデザイナーだ。 そんな時代の原宿カルチャーのBig Waveを目の当たりにしてきた。 アメリカンドリームならぬ原宿ドリームである。実に刺激的で面白い時代だった。 今でも車で原宿・表参道を通ると、懐かしいあの頃を走馬灯のようにふと思い出す。
Text:Fumiya Fujii
Photo:Anna Fujii