「コミュニティはもともとあった」3.11の教訓
元気さんが対面のコミュニケーションを大切にし、お店同士や人同士を繋ぐ活動の背景には2011年3月11日に起きた東日本大震災がある。地震発生直後の原宿の様子を、元気さんはクリーンアップを一緒に始めたスタッフの方から個人的に聞いていた。
「街に来ていた多くの方が、お店の中で不安そうな表情をされていたそうです」。
元気さんはピンチのときこそ地域で手を取り合って、
排水溝にはたくさんのタバコの吸い殻が。トングで蓋を外して回収するのだが、網を外すのがうまい人が毎回必ずいる。
「ゴミ拾いが何かあったときに地域でコンタクトを取るきっかけになればと思っています。顔を知っていれば、何かあったとき躊躇せず駆け込めるし、『ゴミ拾いにいましたよね?』という会話が生まれる。お店同士や地域に関わる者同士、互いに心配し合える関係性が出来てほしいですね」
結局、人と人が信頼関係を育むのは顔を合わせるのがいちばんだ。元気さんは“古臭い考え方“かもしれない、としながら「全てがオンラインに取って代わられてしまうのは寂しいし、オフラインならではの価値を最大限に高めていくことが肝要」と言う。コミュニティの仕組みを作るということは同時にセーフティーネットを作ることでもあると言える。
クリーンアップ終了後、ご褒美にステッカーと差し入れの「ovgo B.A.K.E.R」のクッキーをもらったキッズ。やったね!
「お店に行くと何か買わなきゃいけないとか思ってしまうかもしれないけど、何気なく立ち寄れる関係性ができたら良いと思います。お客さんとしてだけではなく、お店同士が何か必要なものを貸し借りしたりとか。僕なんか『いちばん店に来るけど何も買わない』なんて言われてましたから(笑)」
元気さんが理想としているのは自分(元気さん)がいなくても成立し、自走していくコミュニティだという。場や機会を作り提供するが、各々がどうつながっていくかはそれぞれの積極性に委ねたいと話す。
「この活動だけでは、ゴミ問題は解決できないというのが大前提としてあります。それが目的ではなくて、場における参加者たちの役割を大事にしたい。僕が音頭をとってはいるけどみんな平等です。それは出資者がいないからできることで、できるだけ参加者のみんなの居心地が良くなるように心がけています」
こういった道端にも隠されたゴミがたくさんある。
実際に今では、元気さんが来られない回ではその場にいる誰かが仕切って、自然と“いつもの流れ”ができるような状態になっている。100回を迎えてCATsクリーンアップの基盤を築いてきた元気さんは今後についてどのように考えているのだろうか。
「本当はコミュニティを作るっていう言い方はしたくない。コミュニティはもともとあるものだから。僕はそれを見えるようにしただけ。これからは、徐々に見えるようになってきたコミュニティがどうやって地域に寄与するかに踏み込んでいきたい。掃除することによって街の価値が上がって連帯感が強まった。『じゃあ俺らつながったけど何する?』というフェーズに来ている気がします。どんなことをしたら面白いか、という視点でお店だけでなく街単位で物事を見られる人を増やしたいですね。勝手に何かが起きることを期待しています」。
いつもはゴミ拾いが終わり次第、もとの集合場所に戻るのだが、この日は100回目の開催でたくさん人が集まったとこともあり、穏田神社の境内で総括。宮司さんである船木さんもクリーンアップの常連である。
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