【私の表参道】世界を獲ったプロフリースタイルバスケットボーラーZiNEZを変えた夜
ZiNEZ(ジンジ)
1990年生まれ。日本とカナダのハーフ。2004年にバスケットボール選手を志しカナダへ拠点を移す。2007年にフリースタイルバスケットボールに出会い、2008年、09年と日本で行われたフリースタイル・バスケットボール日本一決定戦において、史上最年少優勝記録と初の連覇を成し遂げる。同年、アメリカで行われた世界大会にて世界一の称号を獲得した。海外のバスケットボールショーのほか国内でタレント、ラジオDJ、モデルなどインターナショナルに活躍するフリースタイルバスケットボーラー。現在、アーティストレーベル「DaP」のメンバーとして、東急不動産が運営する古民家ギャラリー「UNKNOWN HARAJUKU」のプロデュースも行なっている。
一歩前に
原宿・表参道が苦手だった。自分の抱えていた劣等感とは縁のない人たちがキラキラ輝いている場所。それが原宿・表参道の当時のイメージだ。
僕は中学2年までを東京で過ごし、その後カナダに渡った。パフォーマーを志して20歳で東京に戻って以来11年間、プロのフリースタイルバスケットボーラーとして活動している。最初は案の定、お金のない日々が続いた。
表参道のパーティー。高価な服に身を包んだ人たちが、主催するブランドの名に恥じない空間を作り上げている。呼ばれて来たものの「実力を見せつけて売り込まなくては」と、悶々と過ごしていた。居心地の悪さとともに、その夜は一つだけ楽しみがあった。カナダ時代から聴いていたHIFANAが出演するのだ。
ラッパーの鎮座ドープネスもゲストで登場し、その演奏に心躍った。好きなアーティストたちが目と鼻の先にいる。次第に、ただ見惚れている自分に怒りが込み上げてきた。僕はボールをカバンから取り出し、無我夢中で音の中に飛び込んでパフォーマンスした。
観客が呆気に取られる中、鎮さん(鎮座ドープネス)が、動きに合わせてフリースタイルラップをしてくれた。即興のセッションに拍手や歓声があがる。立場や職業、その場のあらゆる境界線が消え、混ざり合った瞬間だ。同時に自ら“苦手”という線を引き、塞ぎ込んでいた事に気が付く。一歩前に出る事で現状は変えられる。
尊敬するアーティストたちに花を持たせてもらい、原宿・表参道という街の懐の深さを知った。燻っている若者の野心を受け入れ、チャンスをくれた寛容さが、ほんの少し僕を大人にしてくれた気がした。
そんな僕は、今このエリアで様々なアーティストと共に道なき線を引き、心を弾ませている。