どこに、どうやって集まるか
制限はクリエイティビティの親である。資本やリソースに限りがあればあるだけ、工夫して物事を創りだしていかなければならない。原宿の中心に住めないなら、原宿の裏を舞台にすればいい。繰り返しになるが裏原宿カルチャーは結果的に隆盛し、文化として成熟していったが発端としてはそういう“ノリ”なのである。
同様に、楽しむことへのDIY精神が出てくるには今ほどぴったりな状況はない。日本の世界での一人当たりGDPランキングは下がり続け、このまま上がる兆しも見られない。そして長引くコロナ。この状況で何をどう表現するのか?そもそも何のために表現するのか?課題が多い分、新しいカルチャーが出てくる要素はたくさんある。
日本初のクラブともいえる "ピテカントロプス"が1984年に閉店した後、佐藤俊博と岡田大弐によって名前を変えリニューアル・オープンした“Club D” 。ビギやニコルなどファッション・ブランドのパーティがひっきりなしに行われ、ニューヨーク帰りの高橋透や同じくロンドンを経て、ニューヨークでヒップホップをいち早く体感した藤原ヒロシが、日本で初めてスクラッチを披露したとも言われる。このクラブでプレーした数々のDJがDIY精神とともに新たな音楽とスタイルを持ち込み、東京に新しいシーンを作り出していった。
画像協力:Club &Disco ミュージアム
-文献 COLDFEET オフィシャルblogより一部引用
近年、上海のストリートシーンは90年台の裏原に似ているという話もあり、”Made in China”を押し出したストリートウェアブランドである「Soulgoods」などアパレルが盛り上がると同時に、彼らのようなタイプの人間がナイトクラブを経営していたり、パーティを開催して交流することで好循環が生まれているという。
2017年にデビューコレクションをローンチした、北京発のストリートブランドSoulgoodsの北京798芸術区にあるストア
写真-SOULGOODS
日本でも音楽業界からだけではなく、アパレルやYoutuberなど、他の分野で成功した若い世代がどこかにクラブを作り、そこを拠点に交流が生まれるという循環がこれから出てきても良いタイミングである。カルチャーはひとりでは生み出せない。人が集まって初めて何かの動きが生まれる。制限だらけの環境でいかに人よりも楽しめるか。そういうことに貪欲なDIY精神を持った人たちが、表参道や原宿には未だに多いと感じるし、コロナが終わる頃にどういった動きが出てくるかが楽しみである。
《寄稿者プロフィール》
稲葉総一郎 Soichiro Inaba
1988年ニューヨーク生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。美少女フィギュアメーカーでL.Aやパリの海外コンベンションを担当後、日本初開催となったRed Bull Air Race実行委員会へ参画。avexでは国内最大級のダンスミュージックフェス「ULTRA JAPAN」や未来型花火エンターテインメント「STAR ISLAND」など、大型フェスのコミュニケーションを担当。
Instagram:@acid_wiz
ナイトカルチャー論 vol.1 -Cultureless era-
カルチャーの中心地が失われた時代をどう生きるか。表参道・原宿の夜遊びが培った色気と身体感覚