水と魚、水と油
街の様子が変われば、当然ナイトカルチャーの様子も変わる。有象無象の表現が交差するナイトクラブ。地下室からひっそりと流れ出る妖しい匂いはさまざまな者を引き寄せ、そのうちに表現者や音好きの社交場は、ビジネスのフィールドへと姿を変える。いかにたくさんの人を呼び、いかに酒を売るか。世間で言うところの水商売的な考え方が台頭してくる。
水商売的な売上の作り方とカルチャーというのは、水と魚でもあり、水と油でもある。キャッシュが生まれることで、そのカルチャーのパイが大きくなるという面もあるし、キャッシュを求める為に本質的な部分が失われるという面もある。日本の中でも特に原宿、表参道エリアに存在したナイトクラブは、ファッションやアートなどを出自とする人たちが集まる分、カルチャー色が薄くなってしまった箱に興味を失うのも早かったのだろう。
元々自分たちの表現を楽しむ場所として集まっていた場所が、収益確保のために、人をたくさん呼んで、お酒をいかに売るかという考え方にシフトし始める。”表現”と”解放”から”集客”と”持続”へパーティの質が変化し、大衆が押し寄せる結果、空気感が白けていく。これは地価高騰の例と同様に、成熟のプロセスの一部である。箱やパーティを運営するには資本が必要であり、エッジーなメンツや身内ノリだけではやっていけないのは事実だ。しかし、パーティの濃さを大事にする人たちが離れていってしまうような社交場には色気が感じられない。絶妙なバランスでカルチャーとキャッシュフローをうまく水と魚にできるような人材が出てくるとたぶん上手くいく。
ナイトクラブの先駆けとされる「ピテカントロプス・エレクトス」。音楽プロデューサー・雑誌編集者など多様な肩書きを持ち、YMOらと交流があった桑原茂一と、ファッションブランドBASSOを立ち上げた石原智一のプロデュースによって1982年に原宿にオープン(高級ヴィンテージマンションとして知られるビラ・ビアンカの地下、現在はメキシカン・レストランになっている)。国内外の著名なアーティストやファッション関係者などが出入りし、カルチャーの社交場になっていたという。
画像協力:Club &Disco ミュージアム
成功している大型フェスなどは良い例であり、メインステージに有名アーティストを集めることで集客を確保し、サブステージでよりコアなアーティストを見せるというようなバランスでうまくビジネスとカルチャーを成り立たせている。
ダンスミュージック系のフェスの主流は、サブステージでテクノなどのジャンルがプレーされ、メインステージのEDMとは異なる楽しみ方を提供することで、ライトファンからコアファンまで楽しめるようなつくりになっている。原宿という街も、メインステージとサブステージが共存する奥行きのあるカルチャー地域として発展し続けることができるのではないだろうか。
画像:Photo by Hanny Naibaho on Unsplash
イベントは誰のものか?
クラブが入場料以外にキャッシュをつくる方法は、酒を売ることだけではなかった。特に感度の高い若者が原宿、表参道エリアには多く、クラブには現在で言うインフルエンサーが遊びにきているので、企業としてはPRにうってつけの場所であった。
時にオーガナイザーは企業から協賛金をもらってイベントを開催することで、ブッキングや宣伝、その他の仕掛けには普段より多くのことをできるようになる。この点は非常に大きなメリットだ。しかし、そこではもちろんスポンサーの意向が関係してくる。攻めた内容や本当に自分たちのやりたいことを我慢しなければならない状況がでてきてしまう。これは日本のテレビ業界の現状とまったく一緒であり、スポンサーや視聴者に配慮しなければいけない為に、面白い番組が作れず、結果視聴率も落ちていくという負のスパイラルと同じ構造である。
ここでの真の問題は、自分たちが楽しむ為のDIY精神をいつのまにか喪失してしまうことだ。スポンサーに満足してもらい、お客さんも入り、収益も残せて、なんだかんだ楽しかったというイベントは、実際とてもいい。しかしながら、いつの間にかそこからは地下室で生まれるカルチャーの匂いが失われ、当時の原宿から出てきたようなムーブメントが生まれるのは難しいような気がしている。80年代から90年代にかけての原宿、表参道の勢いというものは、ファッションが牽引していたDIY精神、つまり、着たい洋服がなければ自分で作る。楽しいイベントがなければ自分たちで開く、といったものが作り上げた財産であることは間違いないだろう。