オモハラみんなのフォトアルバム Vol.88
和多利浩一(以下:浩一):1972年に、母の和多利志津子が今のワタリウム美術館の場所にオープンした画廊「ギャルリー・ワタリ」。そこには母と交流があった寺山さん(寺山修司)は来るわ、横尾さん(横尾忠則)は来るわ。そういうのが当たり前の日常でした。
和多利恵津子(以下:恵津子):この写真は1980年代に撮られたもので、1983年にはキース・ヘリングが初来日、初個展を行います。制作には、私たちの「オン・サンデーズ」も使っていたギャルリー・ワタリの向かいにあった、ガラス張りの別館をアトリエにしたんです。母が本人をNYから招聘したんですが当時、日本ではほとんど誰にも知られていなかったと思います。
浩一:そこにNHKが「NYから今話題のアーティストが来てる」と嗅ぎつけて、当時女性ニュースキャスターとして草分け的存在であり、大人気だった宮崎緑さんがキースにインタビューしたんですよ。夜のニュース番組で紹介されたらもう、えらいことになりました。
恵津子:人が集まってくるのはもちろん、電話も取りきれないくらい。キースが制作しているアトリエの中まで人が勝手に入ってきてしまうので、中から鍵を閉めちゃいました。それを私たちは傍らで見ていたので、グラフィティアートの人々を魅了する力、これから巻き起こる熱狂の前兆と気配みたいなものをリアルに感じ取れました。
浩一:制作が終われば、彼らはクラブへ繰り出します。僕がボディガード役で駆り出されたんですが、新宿のツバキハウスのトイレにキースがタギング(即興で“タグ”=名前やモチーフを描くこと)したときは、コテンパンに怒られましたよ。当時の日本のキースは知名度はまだそういう感じだったんです。

キース・ヘリングの初来日初個展。ギャルリー・ワタリ向かいのアトリエで制作するキース・ヘリングと和多利姉弟
ワタリウム美術館 館長の和多利恵津子さんとCEOの和多利浩一さんの二人から寄せていただいた、ワタリウム美術館が建つ前、1980年代の「ギャルリー・ワタリ」と、1983年にキース・ヘリングが初来日し、初個展の制作を行なっている写真です。ガラス窓の外、詰めかけた観衆の中には学生服の少年も写っていることからその熱狂ぶりがうかがえますね。
OMOHARAREALでは和多利姉弟が幼少期だった頃から今に至るまでのインタビューを配信中。どの時代の話も面白いのでぜひ読んでみてください!
>>ワタリウム美術館 館長・和多利恵津子/代表・和多利浩一(前編)
>>ワタリウム美術館 館長・和多利恵津子/代表・和多利浩一(後編)
写真と同じ場所の現在は?
神宮前3丁目、そして南青山3丁目交差点へと伸びるキラー通りの中腹。ストライプの外観が特徴の「ワタリウム美術館」が建っています。スイス人建築家 マリオ・ボッタによる設計で建設された「ワタリウム美術館」はキラー通りのもっとも象徴的なランドマークと言えるでしょう。

1FとB1Fには和多利姉弟がかつて大学時代に開業したミュージアムショップ「オン・サンデーズ」が入り、2F〜4Fまでが展示空間になっていて、世界でもここでしか見られないさまざまな企画展示の数々が見られます。
通りのアスファルトは石畳となり、写真に写る洋菓子店と、奥の居酒屋らしき看板は飲食ビルへと趣を変えています。しかしどこか昔の面影を感じさせるのは、姿を変えても「ギャルリー・ワタリ」だった頃の意志を「ワタリウム美術館」が継承し、今なお実践し続けているからなのかもしれません。
OMOHARAREALでは過去の表参道・原宿(オモハラ)の街の写真と思い出を集めています。『Chapter 1』〜80's(公開中)と、『Chapter 2』90's〜にぜひご参加ください!
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