オモハラみんなのフォトアルバム No.82
1967年1月1日の神宮前4丁目の写真です。正月はよく街の写真を撮っていました。セントラルアパートの裏手の通りで僕の実家の周辺、というか映っていますね(笑)「三菱コルト1100」という車が停まっている家に住んでいました。
広い敷地の家なんかは門松を飾っていたかもしれませんが、僕の住んでいた地域のお正月は、決まってどの家も笹を飾っていました。
隣のムサシヤさんはパンや駄菓子を売っているお店で、ここはおふくろさんが亡くなってからサパークラブ(※キャバレーやナイトクラブの中間、お酒と音楽を楽しむアメリカ文化に由来するナイトスポット)のようなお店を始めまして、文教地区(教育施設や文化施設が集まるエリア)だったので騒がれていましたね。
実家の手前に見切れている、2枚目の写真奥にある「オーシャンウイスキー」の看板は田沼酒店という酒屋さん。当時は想像もしていなかったですが、田沼酒店さんがビールの倉庫として使っていた場所を貸出して、70年代に商売を始めたのが、のちに竹の子族ブームを作った「ブティック竹の子」でした。
1967年1月1日、1枚目のプロペラ通りと交差する現在の「FR2」や「6%DOKIDOKI」がある裏通り。原宿ピアザビルを背にセントラルアパート(明治通り側)に向かって撮影された写真
今からおよそ60年近く前の神宮前4丁目。裏原ブームの震源地でもあるプロペラ通りの写真です。この頃は木造の家や商店が並ぶ住宅地。通りには晴れ着を来た女の子や、よく見てみると男の子はちょっと薄着。天気も良さそうで平穏な元旦の地域の営みが写し出されています。
髙橋さんが話す通り、現在営業している「ブティック竹の子」竹下通りのお店は原宿3号店にあたるようで、オモハラエリアの最初の店舗はこの周辺だったようですね(店舗としての1号店は桜上水で、原宿に出店したのは4〜5店舗目だとか)。“裏原”という言葉もない中、あえて裏手の住宅街へ出店。裏原ブームの先駆け的な先見の明を感じます。
写真と同じ場所の現在は?
すっかり様変わりしたプロペラ通りは、ご存じの通り住宅はなくなりほとんどが店舗に。元旦に外へ出て遊んでいた地域の子どもたちの姿はなく、表参道・原宿で買い物を楽しむ人たちへと変化しています。
1枚目の写真で大まかな場所はわかっていても、撮影ポイントがなかなか絞り込めずに苦労しました。現在の写真は電柱の位置と奥側の歩道が少しカーブしている様子から予測して撮影。

写真を提供してくれた髙橋さんもそうですが、当時周辺で暮らしていた人たちにとって、 街が大きく変わるというのはどういう心境なのでしょうか。80年代の竹の子族ブームや90年代の裏原ブームなど、これほどの流行の発信地になる場所、やはり特別な街なんだと思わされます。
当然ながら、筆者の地元にある実家周辺は、幼少からずっと変わらない田舎の風景のままです(笑)。
OMOHARAREALでは過去の表参道・原宿(オモハラ)の街の写真と思い出を集めています。『Chapter 1』〜80's(公開中)と、『Chapter 2』90's〜(2025年公開予定)にぜひご参加ください!
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