
オモハラみんなのフォトアルバム No.60
1980年、ちょうど20歳の頃の僕です。朝9時の表参道の写真で、出勤前に地元から遊びに来た友人が撮ってくれました。同じ時間帯でも、今はこんなに穏やかな表参道の写真は撮れないのではないでしょうか。
僕は当時、神宮前6丁目キャットストリート沿いに住みながら「DO!FAMILY」という今も原宿にあるアパレルの会社で働いていました。
僕が原宿の街を初めて意識したのが1974年、15歳で高一の頃かな。地元の熊本に「アワーハウス(OUR HOUSE)」という古着のお店があって通っていました。アルバイトでお金を貯めて、有田正博さんというオーナーの方にお願いしアメリカの買付へ一緒に連れて行ってもらったんです。
まだ成田空港はないから羽田を使うんですが、渡米前に東京に2日間くらい滞在しました。有田さんと一緒に、原宿の街をウロウロしたんです。まだお店も全然ない中で、千駄ヶ谷には代官山に移転する前の「ハリウッドランチマーケット」があり、すぐ近くの神宮前2丁目にも同オーナー垂水ゲンさんによる古着屋「極楽鳥」が今の「アストアロボット(A STORE ROBOT)」の場所にありました。
そこで垂水さんと初めて会って以来、50年以上のお付き合いをさせていただいてます。初めて会ったときからいろいろアメリカの現地情報をもらったんですよ。その経験もあって「上京したら絶対に原宿に住もう!」といつしか心に決めていました。
それから3年後、1977年に高校の卒業証書を手にその足で。戦前から走っていた桜島号という鈍行列車に飛び乗り上京しました。さらに3年が経ち、決めた通りに原宿に住んで働いていたある日の一幕がこの写真。地元の友達が遊びに来てくれた翌朝で、同年にあった成人式にも出ず、地元に帰っていない僕に「写真がないならここで撮ろうよ」って言ってくれたんです。
まだ欅並木の背も低く、朝の木漏れ日が気持ち良い静かな表参道は海外のような漂っていました。僕が好きな表参道の陽だまりのぬくもりが宿っているようで、大切にしている写真です。
テレビ、広告や雑誌、スタイリストとして名だたるブランド、アーティストやミュージシャンと素晴らしい作品を作り上げてきた島津由行さんが写真と思い出を提供してくれました。コラム「私の表参道・原宿」にも寄稿してくれています。
そんな島津さんの20歳だったころの希少な写真。おそらく後ろに見える歩道橋との位置関係から神宮前交差点近く、今の八角館ビル少し登ったあたりではないかと思われます。右手には花屋らしき店舗も見えますね。当時の表参道の穏やかな空気感を捉えています。欅の幹や枝も今よりも小さく、45年の月日での欅並木の成長も見てとれます。
それにしても20歳の爽やかな島津さん、おしゃれだなあ。お話を聞くと若い頃はその時々、したい格好をしていたとうことで頻繁にスタイルを意識的に変化させていたそうです。時代ごとに表情を変えるオモハラの街とも通じるところがありますね。
余談ですが、原宿に住むきっかけを生んだアメリカへの渡航資金を貯める際、実は一度学校を辞めてアルバイトに明け暮れていたそうです。そのあと別の高校へ再入学し、卒業。学校を辞めていたことを、当時アメリカへ連れて行ってくれたオーナーに打ち明けたのも卒業後のことだそうで、その行動力には驚かされるばかり。本人曰く
「せっかちだからさ。やるとなったらとことん追求して現地の空気感を体感したかった」
と、その返答から島津さんの一貫したアティチュードがうかがえます。
OMOHARAREALでは過去の表参道・原宿(オモハラ)の街の写真と思い出を集めています。『Chapter 1』〜80's(公開中)と、『Chapter 2』90's〜(2025年公開予定)にぜひご参加ください!
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