
オモハラみんなのフォトアルバム No.58
当時のセントラルアパート、現・東急プラザ 表参道(オモカド)のすぐ近くです。私の実家も、この商店が並んでいる“中通り”周辺にありました。当時、地域住民は明治通り側から順に上通り・中通り・下通りと呼んでいたんです。昔から地域に住んでいる人であれば、下通りにあたるキャットストリート回りは川沿いで、一段低くなるため、あまりいい立地ではなかったという認識を持っていました。
私が住んでいた中通りは商店街とまでは行きませんが、魚屋、乾物屋、布団屋、米屋、八百屋などの商店がありました。この道の奥、神宮前3丁目の原宿通り、香取屋さんあたりがいちばん大きな商店街でした。
近所にはやはり著名な方が多く住んでおり、実際に夏目漱石のお孫さんがいらっしゃいました。存命であれば90歳は過ぎているはずです。当時、スナックを営んでいた記憶があります。
また、日本プロ野球黎明期の人気投手で1936年に読売巨人軍に入団したヴィクトル・スタルヒン(戦時中、日本に亡命し須田 博に改名)さんも住んでいましたね。
実家からすぐ近くには「芳来(ほうらい)」というラーメン屋があり、たまに出前をとったりしていましたが、子供のときのごちそうといえば「芳来」のラーメン。自分にとっては今まででNo.1のラーメンです。
写真を提供していただいた髙橋さんの実家近くの通りを映した写真です。商業ビルに囲まれる今の姿と比較すると想像もつきませんよね。
いちばん手前にあるフラワースクールの看板の建物が英語表記なのは、ワシントンハイツに駐留していた人に向けた名残りなのだそう。ガラスのショーケースには花が活けてあり、季節によって変わっていたのかもしれません。
写真と同じ場所の現在は?
こちらの建物、近年だと2009年まではファーストフードチェーンの「ウェンディーズ(Wendy's)」があり、その後、ジュエリーブランドの「4°C」、イエローの壁面が印象的だった「ロクシタン(L'OCCITANE)」と変遷していきます。現在は「CHARLES & KEITH 表参道店」となっています。
現在は暮らしの匂いはなくなり、中央分離帯もできたことで見通しは悪くなっていますが、奥に覗く路地の幅やたくさんの看板による雑踏感は、時がたっても共通している気がしますね。
髙橋さんの住んでいた中通りは90年代初頭には裏原と呼ばれ、通りで人気だったアメカジショップの名前を取り「プロペラ通り」として現在も親しまれています。“裏”でも“表”でもなく、当時は明治通り側から順に上・中・下通りと呼ばれていたのが面白いです。
髙橋さんと同じく、神宮前4丁目の近辺に住んでいた方からは「同じ長屋に、夏目漱石の子孫が住んでいたと聞いたことがある」とお話くださったのですが、今回、髙橋さんへの取材でそれが直系のお孫さんということがわかりました。
OMOHARAREALでは過去の表参道・原宿(オモハラ)の街の写真と思い出を集めています。『Chapter 1』〜80's(公開中)と、『Chapter 2』90's〜(2025年公開予定)にぜひご参加ください!
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