
オモハラみんなのフォトアルバム No.048
香取屋の前で、近所の子どもたちが写る1枚。当時、この近辺には広い空き地があったり、家庭菜園をしている人がいたりと、まだ戦後の面影が残るのどかな住宅街でした。原宿の街並みは、1964年の東京オリンピックから徐々に変わっていったんです。
後に、香取屋の左隣のパン屋「九州屋」さんは、バブル後のおよそ30年くらい前、一時期「ビームス」になっていた記憶があります。
子どもたちが三輪車のような乗り物に我先にとまたがっているのが微笑ましい1枚です。
お写真を提供してくれた、現在は酒屋となっている香取屋さんでは当時、味噌を量り売りしており、その後平成になってしばらくまでは、赤味噌と白味噌を取り扱っていたとのこと。
写真にも複数の味噌桶が見てとれますね。この写真の場所にピンとこない方もいるかもしれませんが、ここは、竹下通りと明治通りが交わるところにある「ムラサキスポーツ」の並び。竹下通りと、原宿通り、とんちゃん通り、明治通りと、賑わう通りのハブのような場所です。
この場所の現在はこちら。
平屋だった香取屋さんは1Fの店舗部分を残してビルに生まれ変わっています。香取屋さんと言えば、若かりし明石家さんまさんの広告写真が入り口に飾ってあるので、それを通りがけに目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
そして香取屋さんの奥側に映る、九州屋さん。現在は石の専門店「コスモスペース」や、アートギャラリーとカフェ、ショップが一体となった「SOMSOC GALLERY」などが入居しています。
道路が全面舗装されたのと、ビルに建て変わったことで、当時の面影を感じられるのは香取屋さんの前の道幅くらいでしょうか。今はもう近所の子どもたちがたくさん集まるわけではないかもしれないけれど、数多くの人が通り、いつも活気にあふれています。
また、「九州屋さんが30年ほど前に一時期ビームスになっていた」というお話について、実際にフォトアルバムプロジェクトにもご賛同いただいている「BEAMS ARCHIVES」に問い合わせてみました。
すると、1991年4月6日から1993年1月31日までの間、「Ray BEAMS原宿」と「LUMIERE BEAMS」の2店舗が、計3フロアで営業していたとの回答をいただきました。どちらもビームスが手がけるウィメンズラインです。ちなみにRay BEAMSは昨年ブランド40周年を迎えましたね。
店舗があった1991年というとちょうどバブルの終わりと言われている時期なので、ご提供者様によるビームスの店舗だったという年代ともぴったり合います。
当時の店舗写真もBEAMS ARCHIVESよりご提供いただいたので掲載いたします。
1991年〜1993年 Ray BEAMS原宿(B1F,1F)、LUMIERE BEAMS(2F)
提供:BEAMS ARCHIVES
OMOHARAREALでは過去の表参道・原宿(オモハラ)の街の写真と思い出を集めています。『Chapter 1』〜80's(公開中)と、『Chapter 2』90's〜(2025年公開予定)にぜひご参加ください!
詳しくは募集記事をチェック